目次(もくじ)
初めてのギリシャ旅、なぜサントリーニ島を選んだのか
旅の目的地を選ぶとき、私はいつも「心が揺れるかどうか」で決めています。今回のギリシャ旅行も例外ではなく、何気なく見た旅行雑誌の一枚の写真がすべての始まりでした。青と白のコントラストが眩しいサントリーニ島の街並み、そしてその向こうに広がるエーゲ海の果てしない青。写真なのに、なぜか潮風の匂いまで感じた気がして、そこからずっと頭から離れなくなりました。
ヨーロッパの中でも、ギリシャは歴史や文化の深さで知られる国です。その中でもサントリーニ島は、火山の噴火によって生まれた特異な地形や、独自の建築様式、美しい夕日で知られています。観光客の多いアテネやミコノスとはまた違った、静けさと神秘性を併せ持つ場所として、旅慣れた人々にも人気です。
私自身、日常の喧騒から少し距離を置いて、心のリセットをしたいという気持ちが強くありました。日本での忙しい毎日、SNSに追われる情報の波、効率ばかりが重視される仕事の現場。そんな中で、「ただ海を眺めて、何もしない」という贅沢を体験したいという思いが強くなっていきました。
そして決めたのが、ギリシャ・サントリーニ島での7日間。あえて観光地を詰め込まず、ひとつの島でじっくりと過ごす旅。何をするかではなく、「どう感じるか」に重きを置いた時間を持ちたいと思ったのです。この旅が、ただの観光ではなく、自分の中で何かを変える経験になる気がして、私は出発の日を心待ちにしていました。
空と海の青に包まれる、到着初日の感動
サントリーニ島への到着は、まさに「夢の中に足を踏み入れた」と感じる瞬間でした。アテネから国内線でおよそ45分。小さな飛行機の窓から見下ろすと、海に浮かぶ三日月型の島がゆっくりと近づいてきます。青く輝くエーゲ海に抱かれたその姿は、まるで絵画のようでした。
空港を出た瞬間、まず感じたのは乾いた空気と、まっすぐに降り注ぐ太陽の光。そしてすぐに目に入ってきたのは、どこまでも広がる青い空と、真っ白な建物たち。あの雑誌で見た写真の世界が、目の前に広がっていたのです。心の中に自然と「来てよかった」という気持ちが溢れてきました。
初日はフィラという中心街のホテルに宿泊。白を基調とした部屋の窓を開けると、そこにはカルデラ(火山の噴火によってできた巨大な窪地)を見下ろす絶景が広がっていました。エーゲ海を背に建てられた建物が段々に連なり、そのすべてが夕陽を受けて黄金色に染まり始めていたのです。
観光はあえて控えて、まずは島の空気を吸い込むことに専念しました。カフェに入り、冷たいフラッペ(ギリシャ風アイスコーヒー)を注文し、ただぼんやりと海を見つめる。風が髪を揺らし、波の音が静かに耳に届き、言葉を使わなくてもすべてが伝わってくるような、そんな感覚。サントリーニ島は、「見る旅」ではなく「感じる旅」だと初日にして悟りました。
ホテルのテラスで夜空を眺めながら、これから始まる6日間に思いを巡らせました。月の光がエーゲ海に反射し、時折風が頬を撫でていく。そんな静寂に包まれた時間が、すでに心の奥深くに何かを届けてくれているようでした。
フィラとイア、二つの街で出会った絶景と人の温かさ
サントリーニ島の旅の中心となるのが、フィラとイアという二つの街です。どちらもカルデラを望む絶景スポットとして知られており、観光客に人気ですが、それぞれの魅力はまったく異なります。私はこの二つの街を歩きながら、風景だけでなく、そこに暮らす人々の温かさにも心を打たれました。
フィラはサントリーニ島の中心地で、レストランやカフェ、ショップが立ち並び、活気に満ちています。迷路のような石畳の小道を歩くと、どこを切り取っても絵になるような景色ばかり。ふとした路地に入ると、観光客の喧騒から離れて、猫が日向ぼっこをしていたり、地元の人が家の前で談笑していたりと、島の日常を垣間見ることができます。
ある日、地元の雑貨店で買い物をしていると、おばあさんが話しかけてきました。英語はあまり通じなかったのですが、身振り手振りと笑顔で「その石のネックレスは、娘が手作りしているのよ」と教えてくれました。その表情がとても優しく、思わず心が和みました。サントリーニの人々は、言葉を超えてこちらを迎え入れてくれるような、そんな温かさを持っています。
一方、イアはサントリーニ島の北端に位置し、世界でも有数の夕日スポットとして知られています。フィラよりも静かで、落ち着いた雰囲気。白い建物が段々に続く坂道を歩きながら、エーゲ海を望む高台まで登っていくと、目の前に広がるのは、まさに「息をのむ絶景」です。
夕方になると、多くの人がイアの高台に集まり、太陽が水平線に沈む瞬間を待ちます。私もその中に混ざって、時間とともに色を変えていく空をじっと眺めていました。そして、ついに太陽が海に沈む瞬間、周囲から拍手が起きました。自然の美しさに対して、言葉ではなく拍手で敬意を表す――その光景に、私は深く感動しました。
フィラとイア、どちらもサントリーニ島を語る上で欠かせない街ですが、それ以上に、そこに息づく人々の暮らしや温もりが、旅の記憶をより深く心に刻み込んでくれました。
地元の味が忘れられない!サントリーニグルメ完全ガイド
旅において「食」は、その土地の文化や人々の暮らしを知るための最も身近な手段だと私は考えています。サントリーニ島でも例外ではなく、地元の食材を活かした料理の数々が、この旅をさらに豊かなものにしてくれました。特に印象に残っているのは、素材そのものの味を生かしたシンプルな料理と、そこに込められた「おもてなしの心」でした。
まず何と言っても外せないのが「トマトケフテデス(トマトのフリッター)」です。これはサントリーニ島特産の甘みの強い小さなトマトを細かく刻み、ハーブや玉ねぎ、粉などと混ぜて揚げた料理で、外はカリッと、中はとろっとした食感がクセになります。この料理を食べたのは、イアの崖沿いにある小さな家族経営のタベルナ(食堂)でした。景色も最高でしたが、何よりも味に驚き、思わずおかわりをしてしまいました。
さらに、サントリーニ産のフェタチーズを使ったサラダや、グリルしたタコのレモンオリーブオイルがけなど、どれも地中海料理らしい素材本来の味が際立っていて、一皿ごとに感動がありました。特にタコは、見た目以上にやわらかく、炭火で香ばしく焼かれていて、シンプルながら深みのある味わいでした。
ドリンクもまた魅力的です。この島では、溶岩土壌の影響を受けたブドウから作られるワインが有名で、特に「アシリティコ」という白ワインは爽やかな酸味とミネラル感が特徴的です。ある日、夕暮れ時にフィラのテラスでこのワインをゆっくり飲みながら、海に沈む夕陽を眺める時間を過ごしました。その瞬間、日常では味わえない贅沢がそこに凝縮されているように感じました。
そして忘れてはならないのが「ヨーグルトとハチミツ」。ギリシャ定番の朝食ですが、サントリーニで食べたものは格別でした。濃厚でクリーミーなヨーグルトに、地元産の香り高いハチミツがとろりとかかっていて、朝から幸せな気分にさせてくれます。
地元の料理は、どれも素朴でありながら力強く、どこか懐かしさを感じさせるものでした。それは、きっとその味に「島の生活」と「人の温もり」が詰まっているからなのだと思います。
アクティビティ天国!火山ツアーとエーゲ海クルーズ体験記
サントリーニ島の魅力は、美しい景色やグルメだけにとどまりません。自然と一体になって楽しめるアクティビティが豊富に用意されており、島の歴史や地形を体で感じることができるのも、大きな特徴です。私は滞在中に、火山ツアーとエーゲ海クルーズの2つのアクティビティに参加し、ただ「見る旅」から「体験する旅」へと深みが増していきました。
まずは火山ツアー。これはサントリーニ島のカルデラ湾に浮かぶ無人島ネア・カメニを訪れるツアーで、ボートに乗って約30分ほどで火山島へと向かいます。上陸すると、一面に広がる黒く乾いた岩肌と、足元から立ちのぼる地熱の煙。かつてこの場所が火山活動によって誕生し、今もなおそのエネルギーを内に秘めていることを実感させられました。
ガイドの話によれば、この島が作られたのは紀元前1600年ごろの大噴火の結果で、その爆発力は当時のミノア文明をも壊滅させたほどだとか。そんなスケールの大きな歴史の中に自分が立っていると思うと、不思議な感覚に包まれました。火口に向かって登っていくと、風景はますます荒々しくなり、遠くにはサントリーニ本島の白い街並みがくっきりと浮かび上がります。自然の脅威と美が共存するその風景は、まさに圧巻でした。
そして、もうひとつのハイライトがエーゲ海クルーズです。こちらは午後から日没までのサンセットクルーズに参加。白いヨットに乗り込み、海風を受けながら島の南部沿岸をゆったりと進みます。赤いビーチ、黒いビーチといった特徴的な海岸線を眺めながら進み、途中で何度かシュノーケリングも楽しめます。透明度の高いエーゲ海は、まるでプールのようで、海中に差し込む光の筋さえはっきりと見えるほど。
船上ではバーベキューランチが振る舞われ、地元のワインも飲み放題。陽気な船員たちのギリシャ音楽に合わせて、参加者同士で自然と会話も弾みます。そしてクライマックスは、海の上から眺める夕日。太陽が水平線に近づくにつれて、空と海がゆっくりと赤く染まり、船全体が沈黙に包まれます。誰もが息をのむようにその瞬間を見つめていました。
このアクティビティを通じて、私は自然と一体になるような感覚を覚えました。ただの観光ではなく、自分の体で島の鼓動を感じたことで、サントリーニが「思い出」ではなく「心の一部」になったと、はっきり思えるようになったのです。
一生に一度は見てほしい、イアの夕日に心を奪われた日
旅の中で「人生で忘れられない瞬間」というものに、いくつ巡り合えるのでしょうか。私にとって、サントリーニ島・イアで見たあの夕日は、まさにその一つとなりました。サントリーニの夕日は世界中から称賛されており、多くの旅行者が「一生に一度は見たい絶景」と口を揃えて言います。しかし実際にその場に立ち、五感で体験してみると、それが単なる観光名所の一つではなく、深く心に染み入る「体験」であることが分かりました。
夕日を見るために選んだ場所は、イアの街の先端にある古い風車の近く。そこは最も美しい夕日が見られるスポットとして有名で、夕方になると多くの観光客が集まり、徐々にその一帯がにぎやかになっていきます。私も少し早めに着いて、運良く石造りの階段に座れる場所を確保することができました。空にはまだ日差しが残っていて、街全体が柔らかい光に包まれていました。
時間が進むにつれ、太陽がゆっくりと海に近づいていきます。その過程で空の色は何度も変化し、オレンジ、ピンク、紫、そして最後には深い青へと移り変わっていきます。建物の白い壁に夕陽が反射して、まるで街全体が金色に染まっていくようでした。周囲にいた人たちも、次第に言葉を失い、ただその美しさに見入っていました。誰かがシャッターを切る音だけが静かに響き、そこには奇跡のような静寂が流れていました。
そして、太陽が完全に海に沈んだその瞬間、自然と拍手が湧き起こりました。国も言葉も違う人々が、同じ時間、同じ景色を共有し、同じ感動を感じるという体験。それは、ただの絶景以上の何かがそこにあったことを証明していました。
私にとってあの夕日は、時間を忘れるほど美しいだけでなく、自分自身の心の奥に問いかけてくるようなものでした。何のために働き、何のために生きるのか、普段の生活の中では流れてしまう問いが、自然と浮かび上がってきたのです。それほどまでに、あの光景には力がありました。
日が沈んだ後も、街はほんのりと明かりを灯しながら、余韻を残すように静かに夜を迎えます。その余韻すらも美しく、私はしばらくその場を離れることができませんでした。イアの夕日は、間違いなく私の人生における「かけがえのない一瞬」となりました。
旅の途中で気づいた、「何もしない時間」の贅沢さ
サントリーニ島での旅も中盤に差し掛かった頃、私はふと、自分の過ごし方が変わってきていることに気づきました。旅の初めは「あそこに行こう」「これを食べよう」「ここで写真を撮ろう」と、ついついスケジュールに沿って動いていたのですが、次第に「何もしないこと」に心地よさを感じ始めていたのです。
ある日の午後、私は何の予定も立てずに、ホテルのテラスに出てデッキチェアに寝そべりました。手には飲みかけのフラッペ、目の前には青く広がるエーゲ海。音楽もかけず、本も読まず、スマホすら持たず、ただ海と空をぼんやりと眺めて過ごす時間。それがこんなにも贅沢で、満たされるものだとは思ってもいませんでした。
普段の生活では、何かをしていないと「時間を無駄にしている」と感じがちです。仕事の効率、SNSの更新、タスク管理。そうした日々のプレッシャーの中で、「何も生産しない時間」を持つことは、ある意味で罪悪感すら伴うものでした。でもサントリーニにいると、不思議とその考えが自然とほどけていくのです。まるで「何もしない」ことを、この島そのものが歓迎してくれているような気がしました。
その日、私は数時間もテラスでぼんやりと過ごしました。すると、風の匂いが変わったこと、遠くをゆっくりと通り過ぎる船の音、小鳥の鳴き声のリズム、そして陽が少しずつ傾いていく空の変化など、普段なら気にも留めないような小さな変化に心が反応するようになっていました。
この「何もしない時間」は、私にとって心のデトックスでした。情報が溢れる現代社会では、無意識のうちに感情や思考が疲れてしまうものです。だからこそ、こうした時間が必要なのだと、サントリーニ島は教えてくれました。自分自身と静かに向き合い、「いま、ここ」に集中する。何も求めず、何も計画せず、ただ流れる時間を感じる――それは現代人にとって、もっとも贅沢な体験のひとつなのかもしれません。
この旅を通して私は、「何もしない」という選択肢がどれほど心に安らぎを与えるのかを知りました。そしてそれは、旅が終わったあとも私の生活に残っていく感覚となり、ふとした瞬間に心を守ってくれる大切な拠り所になっています。
サントリーニの宿事情と、おすすめのホテル滞在記
旅の満足度を大きく左右する要素の一つに「宿泊先」があります。サントリーニ島には、リゾートホテルから伝統的な洞窟型の宿泊施設まで、さまざまなタイプの宿が存在しており、どこに泊まるかによって旅の印象ががらりと変わります。私はこの旅で2か所のホテルに滞在しましたが、それぞれに異なる魅力があり、特に後半に泊まったイアのホテルは、今でも鮮明に記憶に残っています。
前半は島の中心地フィラにある、比較的リーズナブルなホテルを選びました。アクセスが良く、レストランやショップも近くにあり、観光の拠点としては申し分ありませんでした。建物はシンプルながら清潔感があり、スタッフの対応も丁寧。部屋からはカルデラを少し望むことができ、朝食もボリューム満点で満足感がありました。
しかし、旅の後半に選んだイアのホテルは、まさに「非日常」そのものでした。そこは断崖に建てられたラグジュアリーホテルで、部屋がすべて洞窟型になっている特別な造り。チェックインの際にはスーツケースを運ぶスタッフが坂道を一緒に歩いてくれ、部屋に案内されると、目の前にはエーゲ海が広がるプライベートテラスがありました。そこには小さなジャグジー付きのプールも備わっていて、まるで夢のような空間に言葉を失いました。
朝は静かに差し込む光の中でゆっくり目覚め、プールに足を浸しながら海を眺める。そして朝食は部屋まで運ばれ、テラスでゆっくりといただく。サントリーニ島の名物であるフレッシュなフルーツやヨーグルト、ハチミツ、焼きたてのパンが並び、味も雰囲気も最高のスタートを切ることができました。
夜になると、街の明かりが少しずつ灯り、空には満天の星が広がります。部屋の照明は控えめで、自然の明かりを引き立てる設計が施されており、ただそこにいるだけで心が穏やかになっていきました。サービスも行き届いており、何気ない気遣いや会話の中にも、温もりを感じました。
サントリーニ島での宿泊は、単なる「寝る場所」ではなく、それ自体が旅のハイライトになり得ます。せっかく訪れるなら、少しだけ贅沢をしてでも、島の雰囲気を最大限に味わえる宿を選ぶ価値はあると心から感じました。私が過ごしたこのホテルでの時間は、旅の終わりが近づいていることを惜しみながらも、心から「生きていてよかった」と思わせてくれるような、そんな体験になったのです。
地元の人とのふれあいが教えてくれた「本当の豊かさ」
旅の中で一番記憶に残るものは、もしかしたら絶景でもグルメでもなく「人との出会い」かもしれません。サントリーニ島で出会った地元の人々とのふれあいは、どれも自然であたたかく、心の奥深くに沁みわたる体験でした。その交流を通して私は、「本当の豊かさ」とは何かということを改めて考えるようになりました。
ある日、私はイアの小さな工芸品店を訪れました。観光客向けに作られた商品というより、店主のこだわりが随所に見られる、温もりのある空間です。中年のご夫婦が営むその店で、私は手作りの陶器に目を奪われました。じっと見ていると、奥さんがにこやかに話しかけてきてくれて、製作の様子や素材についてゆっくりと説明してくれました。
「この色合いは、夕日と海の色をイメージしているのよ」と話す彼女の言葉には、誇りと愛情が込められていました。聞けば、すべての作品は島で採れる素材を用い、自然の色味や形をそのまま反映させているとのこと。商売というより、自分たちの暮らしそのものを表現しているように感じました。そんな彼女の姿勢に、私は深い感銘を受けました。
また、別の日には宿の近くのパン屋で出会ったおじいさんが、焼きたてのパンにオリーブを挟んだものを「試してみな」と手渡してくれました。何気ないふるまいでしたが、その優しさと素朴さに胸が熱くなりました。地元の人々は、見返りを求めることなく、ただ自然体で人に手を差し伸べることができる。その姿に、私は本物の豊かさを見た気がしたのです。
サントリーニでは、暮らしと観光が無理なく共存しています。観光客に対しても、形式的な接客ではなく、あくまで「人と人」として接してくれる。それはまるで、「ようこそ、私たちの島へ」と心から迎え入れてくれているような、そんな感覚でした。
現代社会では、便利さやスピード、情報の多さが「豊かさ」と捉えられがちですが、サントリーニで出会った人々を通じて私は、それとは全く異なる価値観に触れることができました。ゆっくりと流れる時間の中で、人とのつながりを大切にし、自然と共に暮らす。そういった生き方の中にこそ、人生の深い意味があるのかもしれません。
この島の人々の笑顔や言葉、何気ない優しさは、どんな景色よりも心に残っています。そして、その心の豊かさに触れたことで、私自身の生き方にも変化が生まれたように思います。
帰国前夜、エーゲ海を眺めながら考えたこれからの生き方
旅の最終日。明日の朝にはこの島を離れ、日本へ帰ることになります。サントリーニでの7日間がまるで一瞬だったように思えるのは、それだけこの島での時間が濃く、心に深く染み込んだからだと思います。夜、ホテルのテラスに一人座り、エーゲ海の静かな波音に耳を傾けながら、私はこれまでの旅を振り返っていました。
イアの夕日、風に揺れる白いブーゲンビリア、石畳の小道で出会った猫たち、タベルナで笑顔を交わした店主、ふとした静寂の中で感じた安心感――それらすべてが、この旅の記憶を豊かに彩っています。そして同時に、私は「この旅が自分にとって何をもたらしたのか」をじっくり考えていました。
日々の生活では、つい効率を求め、結果を急ぎ、人と比較してしまうことが多くありました。常に「何かをしていなければならない」というプレッシャーが心にあって、立ち止まることが怖かったのです。しかしサントリーニでの7日間は、その感覚をゆっくりと解きほぐしてくれました。
特に心に残っているのは、「何もしない時間」に感じた心の安定。そして、地元の人々との出会いを通して知った、物質的な豊かさとは違う、生きることそのものに根ざした幸せのかたち。私がこの旅を終えて持ち帰るものは、写真でもお土産でもなく、そうした目に見えない「感覚」や「気づき」です。
この旅の間、私は常に「今この瞬間」に意識を向けていました。スマホを見る時間も減り、SNSも一切更新せず、自分の気持ちに素直に向き合えた気がします。それが、何よりも贅沢で、価値のある時間だったのです。
帰国したら、また忙しい日常が始まります。でも、サントリーニで得た静けさや、人とのつながりの温かさは、これからも私の心の中で灯り続けてくれるでしょう。迷ったとき、疲れたとき、私はあのエーゲ海の青を思い出すはずです。そしてきっと、少し深呼吸をして、自分を取り戻すことができる気がします。
この旅は「非日常」の体験だったけれど、だからこそ「日常」をもっと大切に感じられるようになりました。旅は終わっても、この気づきは終わりではありません。これからの生き方を、少しずつでも変えていく。それが、サントリーニ島が私にくれた、何よりも大きな贈り物です。
この旅がくれたもの――サントリーニで心が変わった理由
人は旅を通して何を得るのでしょうか。ただ観光地を巡り、美味しいものを食べ、非日常を味わうだけなら、それは「楽しい思い出」にとどまります。でもこのサントリーニでの7日間は、そんな枠を超えて、私の心そのものに変化をもたらしてくれました。旅の最後にあたって、私はその変化の正体をゆっくりと考えるようになりました。
最初は「きれいな夕日を見てみたい」「エーゲ海をこの目で見たい」という軽い動機でした。しかし、実際に島に足を踏み入れてみると、そこには「ただの観光地」とはまったく異なる時間の流れと、人々の営みがありました。自然と共に暮らし、季節の変化を肌で感じながら過ごす島の人々の姿に、私は心の奥にしまい込んでいた「生き方」についての問いを突きつけられたように感じたのです。
何より印象的だったのは、島の人たちが「足るを知る」ことを実践していたことです。大きな富や最新のテクノロジーがなくても、彼らの暮らしには満ち足りた表情がありました。日々の営みの中に幸せを見つけ、小さな喜びを大切にする姿は、消費やスピードばかりを追いがちな私たち現代人にとって、ひとつの生き方の指針になるように思えました。
また、自分の感情と素直に向き合う時間を持てたことも、今回の旅の大きな成果でした。忙しさに追われ、目の前の課題ばかりに集中していると、どうしても自分の本当の気持ちを後回しにしてしまいます。でも、サントリーニの風景の中に身を置くと、自然と心が静かになり、あらゆる感情が浮かび上がってきました。悲しさや疲れ、迷い、そして希望や喜び。それらをまるごと受け止められたことで、私は少しだけ強くなれた気がします。
旅の終わりが近づくにつれ、私は「またこの島に戻ってきたい」と強く思うようになりました。でもそれは、同じ景色を見るためではなく、再び「自分を見つめ直す」ための場所としてです。サントリーニ島は、単なる観光地ではなく、心の避難所であり、人生の節目に戻ることのできる大切な場所になりました。
この旅が教えてくれたのは、「豊かさ」や「幸せ」は外側にあるものではなく、すでに自分の中にあるということ。そしてその感覚に気づくためには、時には遠く離れた場所で、自分を解放する時間が必要なのだということでした。
心から、行ってよかった。心から、また行きたい。そう思える旅に出会えたこと自体が、何よりも幸せだったと今では感じています。
まとめ
サントリーニ島で過ごした7日間は、ただの「旅行」ではありませんでした。それは、自分の心と静かに向き合い、生き方を見つめ直す貴重な時間でした。青と白に包まれた風景、胸を打つ夕日、温かく迎えてくれた地元の人々、そして何より、自分自身と丁寧に向き合えた時間。
この旅を通じて私は、「今を感じること」「何もしないことの豊かさ」「人とのふれあいの価値」、そして「本当の豊かさとは何か」という問いに出会い、少しずつその答えを見つけられた気がします。帰国後の私の中には、確かに何かが変わっていました。焦らず、無理せず、自分の心の声を聴きながら生きていく――そんな思いを胸に、また新たな日常へと戻っていきました。
旅は終わりましたが、この島で得た感覚は今も心に残り続けています。そして、また人生に迷ったとき、私は再びあの夕日の場所に戻ってくるでしょう。