「セブ島の海が人生を変えた」──初めての海外ひとり旅で見つけた本当の自由とは

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なぜ私はセブ島を旅先に選んだのか:人生に迷っていたあの頃

「このままでいいのだろうか」──そんな思いが心のどこかにずっと引っかかっていた。日々の仕事は安定していて、生活に困ることもなかったが、なぜか心が満たされない。毎朝の通勤電車、仕事と帰宅を繰り返すだけの生活。気づけば、笑うことすら義務のようになっていた。そんなとき、ふと目にしたSNSの投稿に心が引き寄せられた。それは、フィリピンのセブ島で過ごしたという誰かの旅の記録だった。青く透き通る海、太陽の光に照らされた笑顔、美しい夕暮れ──その一枚一枚が、自分の心に強く刺さった。

最初はただの逃避だったのかもしれない。仕事を辞めるつもりはなかったが、一度すべてをリセットしたくなった。「行ってみたい」そんな思いが日に日に強くなり、ついにチケットを検索し始めた。そして気がつけば、セブ行きの便を予約していた。英語が堪能なわけでもなく、ひとりで海外に行くのはこれが初めて。不安と興奮が入り混じる中、「今しかない」という衝動に背中を押された。

私がセブ島を選んだ理由は、美しいビーチやリゾート感だけではない。日本では体験できない何か、自分の殻を壊してくれるような出来事をどこかで期待していた。心が少し疲れていたからこそ、全く違う世界に飛び込んでみたかったのだ。セブ島は、そんな私の“変わりたい”という願いに静かに応えてくれた。旅の始まりは、まさにここからだった。

不安だらけの出発当日:ひとり旅の第一歩は空港から始まった

出発当日は、朝から妙に落ち着かなかった。前日はちゃんと準備を整えたはずなのに、何か忘れている気がしてカバンを何度も開け直した。パスポートはある、財布もある、航空券もスマホに入っている。だけど心のどこかで「本当に行くのか?」という自問が消えない。誰にも相談せず、ひとりで計画し、ひとりで飛び立つ。その決断が、いよいよ現実のものになろうとしていた。

成田空港に着いてからも、足取りは重かった。搭乗手続きを終えてゲートへ向かう途中、カフェで一息つきながら周囲を見渡した。家族連れ、友達同士、ビジネスマン──みんな何かしらの目的を持っているように見えたが、私は「自分探し」などという曖昧な理由でここにいる。そんな自分が場違いに思えて、少しだけ恥ずかしかった。

飛行機の中では、眠ることができなかった。窓から見える雲の海をぼんやり眺めながら、「これから何が待っているんだろう」と何度も考えた。英語に自信はないし、現地の交通手段もあまり理解していない。それでも、「やってみなければ分からない」という気持ちが、自分の中で少しずつ大きくなっていた。

飛行機がマクタン・セブ国際空港に着陸する頃には、不安は消えないまでも、新しい世界への期待が勝っていた。「もう戻れない、だから楽しむしかない」そう自分に言い聞かせて、私は入国審査の列に並んだ。ここから先は、何があっても自分で判断し、自分で進む。そんな旅の始まりだった。

到着してすぐに感じたセブ島の空気と人の温かさ

マクタン・セブ国際空港を出た瞬間、むわっとした南国特有の湿った空気が体にまとわりついた。それは不快というよりも、「本当に来たんだ」と現実を突きつけてくれるような、妙に安心する感覚だった。空港の外には、カラフルなジプニーやトライシクルが行き交い、人々の声が飛び交っていた。日本とは明らかに違うリズムで動くこの街の雰囲気に、最初は戸惑いを隠せなかった。

予約していた宿までは、空港からタクシーを使った。運転手は片言の英語で話しかけてくれ、私の発音がひどくても終始にこやかに対応してくれた。その姿に少しずつ緊張がほぐれ、「言葉が完璧じゃなくても、伝わるものはあるんだ」と実感した。ホテルに到着すると、スタッフたちの笑顔が迎えてくれた。チェックインのときも親切に説明してくれ、地図を取り出して周辺のおすすめスポットまで教えてくれた。初めての国で感じたのは「警戒」ではなく「歓迎」だった。

その日の夕方、近くのビーチに足を運んでみた。夕焼けが海面をオレンジ色に染め、波の音だけが静かに耳に届く。観光客もまばらで、まるで世界に自分しかいないような静けさだった。裸足で砂を踏みしめながら、心の中にあった不安や緊張が、少しずつ溶けていくのを感じた。セブ島には、特別な何かがある。見知らぬ土地のはずなのに、不思議と「ここにいていいんだ」と思わせてくれる空気があった。

この瞬間から、「ひとりで来てよかった」と思えるようになった。人々の優しさ、景色の美しさ、そして自分がちゃんと行動できているという小さな自信が、旅の本当の始まりを告げていた。

モアルボアルの海でシュノーケリング:想像を超えた透明度との出会い

セブ島滞在の中で、もっとも印象的だった体験のひとつが、モアルボアルでのシュノーケリングだった。セブ市内からは車で約3時間。道中は舗装が甘く、ガタガタと揺れる車内で少し疲れたが、それ以上に期待が膨らんでいた。到着すると、目の前に広がるのは、まさに絵葉書のような光景。澄み切ったエメラルドグリーンの海と白い砂浜が、夢の中の世界のようだった。

ガイドの案内でシュノーケルを装着し、海に入った瞬間、その透明度に息を呑んだ。水中からでも太陽の光がキラキラと差し込み、サンゴ礁の中を泳ぐカラフルな魚たちがはっきりと見える。遠くにはイワシの大群が銀色の帯のように泳ぎ、それに誘われるように海ガメが優雅に現れた。自然の美しさにただ圧倒され、時間の感覚を完全に失った。

この場所では、泳ぐことだけが目的ではなかった。水の中に身を委ねることで、普段は感じない「無重力」のような安心感があった。音が遮断された静かな世界で、自分の呼吸だけが聞こえる。そのリズムに耳を澄ませているうちに、心がどんどん落ち着いていった。

ツアーが終わる頃には、全身が心地よい疲労感に包まれていたが、それ以上に精神が満たされていた。「自然と一体になる」という言葉の意味を、私はこのとき初めて体感した。何も考えずにただ“そこにいる”だけで、心が解放されていく。モアルボアルの海は、単なる観光地ではなかった。人生のどこかで抱えていた緊張をそっとほどいてくれる、心の避難所のような場所だった。

セブ島のローカルフードに挑戦:屋台で感じた本当の異文化交流

旅の楽しみのひとつに「食」がある。せっかくなら地元の味を体験したいと思い、私はあえて観光客向けのレストランではなく、ローカルの人たちが集まる屋台街に足を運んだ。セブ市内の「ラーシアン・フード・コート」は、まさにその典型で、屋根付きの広場にずらりと並んだ屋台には、肉や魚、野菜を使ったさまざまな料理が所狭しと並んでいた。

最初は戸惑った。どれがどんな料理か分からないし、メニューもすべて現地の言葉。でも、勇気を出して近づくと、おばちゃんが笑顔で「これはチキン、これはポーク」と教えてくれた。指差しで注文し、コーラと一緒に簡易なテーブルで食べたその料理の味は、驚くほど美味しかった。特に「レチョン(豚の丸焼き)」は皮がパリパリで、中はジューシー。日本で食べたどんなローストよりも深い味わいだった。

屋台では、隣に座っていた現地の青年が気さくに話しかけてくれた。彼は大学生で、英語も堪能だった。「ひとりで旅してるの?すごいね!」と褒めてくれ、そこから簡単な英会話が始まった。たわいもない会話だったが、言葉を超えて笑い合える感覚が嬉しかった。食を通じて、人との距離が一気に縮まる瞬間だった。

その日、私はいくつもの料理に挑戦した。「シシグ」「パンシット」「トゥロン」など、名前すら知らなかった食べ物が、少しずつ自分の記憶に刻まれていく。そして、どの料理も作る人の温もりが伝わってきた。ローカルフードには、観光ガイドには載っていない、その土地の文化と人の心が詰まっている。食べることは、その土地に溶け込むための一番自然な方法だったと感じた。

言葉が通じなくても伝わった笑顔と優しさ

海外でひとり旅をしていると、言葉の壁は常につきまとう。英語が通じる場所もあれば、全く伝わらないこともある。けれど、セブ島で出会った人たちは、言葉よりも「態度」でコミュニケーションを取ってくれる人が多かった。それは時に、言葉以上に深く心に届いた。

ある日、バスに乗って郊外の村へ向かう途中、行き先がよく分からずに不安になっていた。乗客の多くは現地の人で、英語を話せる人は少なかった。しかし、私が地図を見ながら困った顔をしていると、前に座っていた老婦人がにっこりと微笑み、自分の指で方向を示してくれた。そのとき彼女が何を言っているのかは分からなかったが、その身振りと表情だけで十分だった。バスを降りるべき場所に来ると、彼女は軽く私の肩を叩き、「ここだよ」という合図をくれた。

また別の日、市場で買い物をしていたとき、小さな女の子が私に飴を差し出してきた。「サグット(これ、あげる)」とだけ言って、はにかんだ笑顔を浮かべた。私はありがとうと返し、飴を受け取ったが、その小さな行動に心がじんと温かくなった。まるで「あなたもここにいていいよ」と言ってくれているようだった。

言葉が完璧である必要なんてなかった。むしろ、通じないからこそ、相手の気持ちや表情に敏感になる。笑顔、ジェスチャー、目線──そうした非言語のコミュニケーションが、旅をより深く、濃密にしてくれた。セブ島での出会いの多くは、言葉がなくても心が通い合う、そんな不思議な体験だった。

旅の途中で出会ったもう一人のひとり旅仲間との偶然の縁

旅の途中で、人との出会いは予想もしないタイミングでやってくる。ある日、私はカワサン滝へのツアーに参加していた。現地のツアー会社が主催する少人数グループのもので、私を含めて6人ほどの参加者がいた。その中に、同じく日本から来たという女性がいた。彼女もまたひとり旅で、休暇を利用してセブ島に来ていたという。年齢も近く、話しやすい雰囲気に自然と会話が弾んだ。

ツアーの間、一緒に歩き、滝壺に飛び込んだり、川を泳いだりとアクティブに動いた。そのうち、互いに旅の目的や、今までの道のりについて話すようになった。彼女もまた、日常の中で何か物足りなさを感じていたらしく、自分を見つめ直す時間が欲しくて旅に出たという。その話に私は深く共感し、「同じように感じていた人が他にもいるんだ」と安心感を覚えた。

その日のツアー後、セブ市内に戻ってからも一緒に食事をし、ローカルのバーに立ち寄ってフィリピンビールを飲みながらさらに話を続けた。会ったばかりの相手なのに、どこか前から知っていたような親近感があった。旅は孤独も含んでいるが、こうして一瞬でも心を通わせる相手がいるだけで、世界の見え方が変わる。

翌日にはそれぞれの予定があり、別々の道を進んだ。連絡先も交換せず、あえてそのままにした。不思議と、それがとても自然だった。この旅は「ひとり」であることを前提としていたし、その一人旅の中で偶然交差した一瞬の縁こそが、旅の醍醐味だと思えたからだ。

自由とは「何をするか」よりも「どう感じるか」だった

セブ島に来る前、私は「自由になりたい」と思っていた。だけど、自由とは何かと問われると、明確な答えは持っていなかった。時間に縛られず、やりたいことをやる、好きな場所に行く──それが自由だと思っていた。けれど、実際に旅を通して得た自由は、そんな単純なものではなかった。

朝、誰に急かされることもなく目を覚まし、気まぐれでビーチに行き、風の音を聞きながら本を読んだり、ぼーっと空を眺めたりする。そうした何気ない時間の中で、「自分が今どう感じているか」に耳を澄ませることができるようになった。普段の生活では、感情よりも効率や結果ばかりを重視していた。だがここでは、喜びや心地よさ、時には不安や寂しさまでも、すべてが等しく“自分の感情”として大切に思えた。

自由とは、好き勝手に行動することではなく、自分の感情を素直に受け止め、それに従って動けることなのだと気づいた。セブ島という異国の地に身を置いたことで、私はようやく「自分の心の声」に耳を傾けることができたのだ。

旅先で予定通りにいかないこともたくさんあった。バスが遅れたり、道に迷ったり、料理が口に合わなかったり。それでも、それらすべてが「自分で決めて、自分で対処する」という経験となり、少しずつ自分の中に「私はこれでいいんだ」という感覚が育っていった。

自由とは、与えられるものではなく、自分で感じ取るもの。それを教えてくれたのが、セブ島の海と、そこで過ごした穏やかな時間だった。

セブ最終日、ビーチで見上げた星空に涙があふれた理由

旅の最終日、私は再びひとりでビーチに向かった。夕方から夜にかけての空が見たくて、あえて静かな場所を選び、宿から少し離れたローカルの海岸まで歩いた。昼間は賑わっていたその場所も、夜になると潮風と波の音だけが支配する、まるで別世界のような静けさに包まれていた。

ビーチに座り、足を投げ出して空を見上げると、満天の星が広がっていた。日本ではビルや街灯に邪魔されてなかなか見られない、まるで空が落ちてくるような星空。深い青のキャンバスに、小さな光が無数に輝いている。その美しさに、思わず息をのんだ。

静けさと光の中で、これまでの旅のすべてがフラッシュバックしてきた。初めての空港での緊張、不安だったバスの中、笑顔で手を振ってくれた地元の人たち、モアルボアルの透き通った海、屋台での出会い、そしてあの一瞬だけの旅仲間。どの出来事も、確かに私の心を変えてくれた。旅のはじめには想像もできなかった感情が、今の私の中にはあった。

気がつくと、自然と涙があふれていた。それは悲しさではなく、むしろ感謝の気持ちだった。セブ島に来て、私は「本当の自分」を取り戻せた気がした。日常の中でいつの間にか見失っていたもの、それをこの旅は思い出させてくれた。完璧である必要なんてなかった。うまく話せなくても、迷っても、立ち止まってもいい。ただ、自分の感じたことに正直に、まっすぐ向き合うことが大切だったのだ。

あの星空の下で私は、「ひとりで旅に出てよかった」と心から思った。旅の終わりは、同時に新しい自分の始まりでもあった。飛行機で戻った日常も、もう前と同じではいられない。私の中に、確かな変化があったからだ。

帰国後に変わった価値観と日常の過ごし方

日本に戻ってきたとき、最初に感じたのは「静かさ」だった。電車の中は静まりかえり、人々は無表情でスマートフォンを眺めている。その空気感に違和感を覚えた自分に驚いた。以前は当たり前だったこの日常が、今の私にはどこか冷たく感じた。けれどそれは、私の中に変化が起きた証でもあった。

旅の前までは、時間を無駄にしないように効率的に動くことが最優先だった。スケジュール通りに動き、ミスなくこなすことが「ちゃんと生きている証」だと思っていた。でも今は違う。空を眺める時間や、道端の花に気づく瞬間、誰かとの何気ない会話──そんな小さな出来事にも、意味があると思えるようになった。

また、自分の「感情」に対して以前よりも正直になれた。疲れたら休む、寂しくなったら誰かに連絡する、嬉しかったら思いきり笑う。当たり前のようでいて、社会の中では意外とできていなかったことだ。それを思い出させてくれたのが、セブ島の人々の暮らし方だった。彼らは少ないものでも笑い合い、助け合いながら生きていた。その姿に、物の豊かさよりも心の豊かさを教えられた。

私は旅の記録をノートにまとめたり、撮った写真をアルバムにしたりするようになった。ただの思い出としてではなく、自分がどう変わったかを振り返る大切な記録だ。友人にセブの話をすると、「なんだか前より穏やかになったね」と言われることも増えた。それが一番の証拠だと思う。

あの旅は、たった数日間だったかもしれない。でも私の価値観と心のあり方を、根本から変えてくれた。セブ島で見つけた自由と、そこにいた自分は、これからも私の人生に寄り添ってくれる大切な存在だ。

まとめ

初めての海外ひとり旅は、私にとって大きな挑戦だった。不安と緊張から始まった旅は、セブ島という美しい場所、人々の温かさ、そして自分自身との対話を通じて、心を揺さぶる体験の連続となった。モアルボアルの海で味わった静寂、ローカルフードで感じた異文化との交わり、そして星空の下で流した涙──そのすべてが、ただの旅行では終わらない“人生の分岐点”となった。

自由とは、どこに行くかではなく、自分が何を感じ、どう生きたいかを見つめること。そのことを教えてくれたのが、セブ島の旅だった。今、私はもっと自分の心に素直に、日々を大切に生きている。

あのとき、思い切ってひとり旅に出た自分に、心から「ありがとう」と言いたい。

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