目次(もくじ)
ミラノ万博とは何だったのか?旅の始まりを彩った世界規模の祭典
2015年にイタリア・ミラノで開催された「ミラノ国際博覧会(Expo Milano 2015)」は、「地球に食料を、生命にエネルギーを(Feeding the Planet, Energy for Life)」をテーマに掲げ、持続可能な未来の食とエネルギーに関する取り組みが世界中から集結した一大イベントだった。170を超える国と国際機関が参加し、来場者数は約2200万人に達したこの万博は、観光だけでなく教育、経済、そして文化の交流の場としても大きな役割を果たした。
筆者がこの万博を訪れたのは偶然ではなく、「食」という普遍的なテーマに強く惹かれたことがきっかけだった。世界中の人々が一堂に会し、各国が未来の食文化や技術革新、伝統を紹介する姿は、単なる展示を超えた「生きた地球の縮図」とも言える空間だった。
ミラノ万博は単なる観光スポットではなく、世界の「今」と「未来」を体験的に学べる場だった。それまでの旅ではなかなか味わえなかった、人類全体の課題に直面する感覚、そしてその中で自分がどう関わっていくべきかを考えさせられる貴重な体験となった。まさに、旅の価値を根底から問い直されるような出発点が、ここミラノ万博だったのである。
イタリア・ミラノの街並みと文化が放つ独自の魅力とは
ミラノはイタリアの経済とファッションの中心地でありながら、古代ローマ時代からの歴史を感じさせる建築や芸術も色濃く残る街である。その独特な融合が、この都市をただの観光地以上の場所にしている。ミラノ万博を訪れた筆者は、会場のある郊外だけでなく、ミラノ市街地も丁寧に歩いて回った。すると、そこには予想以上に深い文化の層が広がっていた。
例えば、ドゥオーモ(ミラノ大聖堂)はその象徴だ。ゴシック様式の荘厳な外観、緻密な彫刻、天を突くような尖塔の数々は、まさに圧巻である。さらに大聖堂の屋上からは、街全体を見渡すことができ、モダンなビルと古い町並みが共存するミラノの姿を一望できた。
また、スフォルツァ城やブレラ美術館、そして「最後の晩餐」で有名なサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会など、ミラノは芸術好きにとっても見逃せない都市だ。だが、最も心を打たれたのは、市民のライフスタイルに根付いた「食」と「美意識」だった。エスプレッソを片手に小さなカフェで語り合う人々、洗練された服装で市場を歩く地元の人々。そんな一つ一つの光景が、万博のテーマである「地球と生命の豊かさ」を、日常レベルで体現していたのだ。
食のパビリオンで出会った“未来の味”が旅人の価値観を変えた瞬間
ミラノ万博の真骨頂は、やはり「食」の分野における革新と多様性だった。世界中の国々がそれぞれの文化や伝統、技術を盛り込んだパビリオンを用意し、訪れる者に未来の食体験を提供していた。その中でも筆者に強烈な印象を残したのは、日本、オランダ、イスラエル、そしてアルゼンチンのパビリオンだった。
日本館では、四季の移ろいや自然との調和を重視する和食文化が、最新の映像技術とともに展示されていた。特に驚かされたのは、昆布や味噌といった発酵食品を通じて紹介された“旨味”の世界である。食べることが単なる栄養摂取ではなく、自然と共存する哲学であると気づかされた瞬間だった。
一方、オランダ館では都市農業や垂直農法といった最先端の食糧生産技術に触れることができた。都市の中心に野菜工場を設置するという発想は、環境負荷を減らしつつ食の安定供給を実現する可能性を感じさせた。まさに“未来の味”を文字通り口にする体験だった。
イスラエルでは乾燥地帯における農業革命、アルゼンチンでは放牧と自然育成にこだわった肉文化が紹介されていた。国によって食の課題と向き合う角度は異なっており、それぞれの食文化の背景にある社会的・歴史的文脈を知ることで、筆者の食に対する認識は大きく変わった。
「食べること」は、生きることそのものだ。そしてその行為が持つ政治性、倫理性、持続可能性について、ミラノ万博は明確に問いかけてきた。この体験が、その後の旅を通じて筆者の食生活と向き合う視点を変えていくきっかけとなった。
万博の芸術展示で触れたヨーロッパ美術の奥深さと現代性
食と同じく、芸術もまたミラノ万博において非常に重要な役割を果たしていた。多くのパビリオンでは自国の伝統的なアートを展示するだけでなく、現代アートを通して未来社会へのメッセージを表現していた。これは筆者にとって大きな驚きだった。万博というと、テクノロジーや産業の展示が中心と思い込んでいたが、実際には人間の精神性や文化的深層に触れる展示が数多くあったのだ。
たとえばフランス館では、印象派から現代のインスタレーションアートに至るまでの変遷が、「食」という切り口で表現されていた。食卓を囲むという行為が、どの時代においても人と人をつなぐ芸術的な営みであったことに気づかされる展示だった。また、ドイツ館ではインタラクティブなメディアアートが中心で、来場者の動きに反応して光や音が変化するなど、テクノロジーと芸術の融合を体験できた。
筆者が特に心を動かされたのは、スペイン館で見た現代彫刻作品だった。そこでは飢餓や飽食といったテーマを抽象的に表現した作品が並び、見る者に対して強烈な感情を喚起していた。芸術は理屈ではなく感性に訴えかける力を持つ。展示を見終えた後、ただ知識として理解するのではなく、感情として「何かが変わった」と実感できたのは、まさにこの芸術展示のおかげだった。
芸術は過去のものではない。それは今を映し出し、未来を問いかける鏡でもある。ミラノ万博での芸術体験は、筆者の中に「美とは何か」「表現とは何か」といった根源的な問いを残し、その後のヨーロッパ各地での美術館巡りへとつながっていく第一歩となった。
サステナビリティの最前線に感動!各国パビリオンが描いた地球の未来
ミラノ万博の核心テーマである「地球に食料を、生命にエネルギーを」は、サステナビリティという言葉を空虚なスローガンに終わらせることなく、各国の創意工夫によって現実的なビジョンとして提示されていた。筆者が最も感銘を受けたのは、各国がそれぞれの立場から地球環境や持続可能な食糧生産にどう向き合っているかを真摯に訴えていた点だ。
例えば、スイス館では「選択する責任(The Responsibility of Choice)」というコンセプトのもと、来場者が自分の判断でリソースを使っていくという体験型の展示が行われていた。1日に使える水の量、電力の選択、食料の消費量など、限られた資源の中でどのようにバランスを取るかを“体感”できる仕組みは、単なる情報提供を超えた教育的な意義を持っていた。
また、韓国館では食文化と健康、エコロジーのつながりに焦点を当て、キムチや発酵食に代表される伝統的な知恵が現代の健康維持や環境保護といかに関係しているかをビジュアルと味覚の両面から伝えていた。食文化を継承することが、そのままサステナブルな暮らしにつながるというメッセージは、筆者にとって非常に説得力のあるものだった。
一方、アフリカ諸国の共同パビリオンでは、気候変動に直面する地域が取り組む地元主導型の農業プロジェクトや、水資源の再利用技術が紹介されていた。貧困や飢餓という問題が日常的な現実である地域だからこそ、そこには「サバイバル」としてのサステナビリティがあった。
このように、先進国から発展途上国まで、すべての国が自らの課題と未来への希望を掲げていた姿は、筆者の心に強く刻まれた。サステナビリティは「遠い誰か」の問題ではなく、自分自身の暮らし方と直結しているのだと、ミラノ万博は明確に教えてくれた。
パビリオンの外へ――イタリアから始まるヨーロッパ鉄道旅の魅力
ミラノ万博を満喫した後、筆者はその余韻を胸にイタリアから周辺のヨーロッパ諸国へと旅を広げていった。その際の移動手段に選んだのは、飛行機ではなく鉄道だった。これには二つの理由がある。ひとつは、サステナブルな旅のスタイルとしての鉄道移動。もうひとつは、都市と都市を結ぶ「過程」そのものを楽しむというヨーロッパ的な旅の魅力に触れたかったからである。
ミラノ中央駅から出発した最初の目的地は、トリノ。高速列車でわずか1時間足らずの距離だが、街の空気感はまるで違っていた。トリノはかつての工業都市だが、近年は再開発が進み、緑豊かな都市空間と近代美術の拠点としても注目されている。筆者はここで現代アートの展覧会を巡りつつ、地元のマーケットで食材を買い、駅近くの広場でピクニックを楽しんだ。
次に訪れたのはスイス・チューリッヒ。ミラノから約3時間、アルプスを抜けての鉄道旅は、まさに絶景の連続だった。特に列車の窓から見える湖と山の風景は、まるで絵画のようで、万博会場の人工的な展示空間とは対照的な自然の力強さを感じさせた。チューリッヒではエネルギー効率の高い建築や、市民のエコ意識が高い生活スタイルに触れ、再びサステナビリティというテーマに立ち返ることとなった。
鉄道旅の魅力は、時間の流れが穏やかであること。そして、各都市の駅が市街地に近いため、降り立った瞬間からその街の鼓動を感じられることである。ミラノ万博から始まった筆者の旅は、鉄道という「線」をたどりながら、ヨーロッパの多様な「点」を丁寧につないでいく旅となっていった。
地元の人々との交流が生んだ旅の本質――観光ではない“体験”の価値
ヨーロッパを鉄道で巡るなかで、筆者が最も大切にしていたことのひとつが「地元の人々との交流」だった。ミラノ万博で世界の多様性に触れた後、その延長線上にある現地での実際の生活や価値観に直接触れることは、旅の意味をさらに深めてくれる経験となった。
例えば、フィレンツェで出会った老夫婦は、筆者が通りで写真を撮っていたときに気さくに話しかけてきてくれた。彼らは定年後にオリーブ畑を経営しており、「自然と共に暮らすことが何よりも豊かなんだ」と笑って話してくれた。その言葉は、万博で聞いたサステナビリティの理念を、より実感を伴って理解させてくれるものだった。
また、ベルギーのブリュッセルでは、アートイベントの会場で若い現代アーティストたちと話す機会があり、食や環境問題に対する彼らの意識の高さに驚かされた。万博では各国政府や大企業が未来を語っていたが、こうした市民レベルでの実践や思考こそが、持続可能な未来を現実のものにしていく原動力であることを痛感した。
観光地を「消費」するのではなく、人と出会い、話し、共感し合うことでしか得られない“旅の本質”がある。そうした体験は、ガイドブックやインターネットでは決して得られない、唯一無二の記憶として残る。筆者にとって、万博を起点としたヨーロッパ周遊は、まさにそのような「人とのつながり」が織りなす、かけがえのない時間となった。
このような出会いの数々は、ただ都市を移動するだけの旅とは一線を画すものであり、筆者の中で「旅とはなにか」という根本的な問いに対して、具体的な答えを与えてくれる体験だった。観光地を巡るだけではなく、その土地に息づく“人の物語”に触れること――それこそが、筆者がこの旅を通して得た最大の学びであった。
ミラノ万博をきっかけに変化した、旅と人生に対する意識
旅が終わったあとも、筆者の中にはミラノ万博で得た気づきが深く根を張っていた。それは一過性の感動ではなく、日々の生活や今後の生き方にまで影響を与える“変化”だった。特に、「サステナビリティ」「食の意味」「人とのつながり」といったキーワードは、以前の筆者にとってはどこか抽象的で遠いものだったが、この旅を経た今では、すべてが自分の生活に直接関わる現実的なテーマとして捉えられるようになった。
具体的には、日々の食生活にも変化が現れた。スーパーでの買い物の際に、原産地や生産方法に目を向けるようになったり、無駄を避ける意識が自然と芽生えるようになった。また、旅に出る際の選択肢も、環境への配慮や地元の人々とのふれあいを重視するスタイルへとシフトした。安さや効率を優先していたこれまでの旅からは一歩離れ、「意味のある旅」を求めるようになったのだ。
さらに、自身の仕事や将来について考える視点も変わった。ミラノ万博では、社会課題とクリエイティビティが結びついた事例に多く触れたことで、「自分も社会に対して何らかの役割を果たせるのではないか」と思うようになった。この気づきは、単なる旅の思い出を超えた“人生の転機”とさえ言える。
ミラノ万博という一つのイベントが、ただの観光経験ではなく、自分自身の人生観を見直す機会になったことは想像以上だった。世界の広さと複雑さ、人間の創造性と希望、そしてそれに応える個人の意識。それらが交差する場に身を置いたからこそ、筆者はこれまでとは異なる視点で日常を生きるようになったのである。
まとめ
「ミラノ万博で人生が変わった」という表現は、決して大げさではなかった。それは単なる観光イベントではなく、世界のさまざまな課題、価値観、文化に一度に触れることができる“地球規模の対話の場”だった。そして、それをきっかけに始まったヨーロッパの旅は、筆者にとって「観光」ではなく「探求」の旅となった。
食を通して知る文化、芸術を通して感じる時代のメッセージ、サステナビリティを通して考える未来、そして人とのふれあいを通して得る人間らしさ。これらはすべて、ミラノ万博という場があったからこそ深く体験できたものだ。
旅は単なる移動ではない。それは、自分を知り、他者を理解し、世界との関係性を見つめ直すための装置である。ミラノ万博はその装置を最大限に活かすきっかけとなり、筆者の中に「より良く生きるとはどういうことか」という問いを根づかせた。
この体験は一生の財産であり、今後も折に触れて立ち返る“原点”となるだろう。旅は続いていく。だが、その旅の始まりに、ミラノ万博という特別な場所があったことは、これからも決して忘れられない記憶である。