目次(もくじ)
- 1 なぜ西穂高岳なのか?初心者が“日本一危険な登山道”に挑んだ理由
- 2 登山前の準備と心構え:装備、体力、そして情報収集のリアル
- 3 上高地から西穂山荘までの道のり──序盤は穏やか、だが油断は禁物
- 4 西穂独標から始まる緊張の連続:鎖場・岩場・細尾根との対峙
- 5 命を預ける一歩一歩──初心者が感じた「本物の恐怖」と「集中力」
- 6 天候の急変と判断の連続:自然の厳しさを目の当たりにした瞬間
- 7 見渡す限りの絶景!西穂高岳からのパノラマが教えてくれたこと
- 8 山頂で流した涙の理由──恐怖と達成感が混じった“特別な瞬間”
- 9 下山こそ本番だった…緊張が続く“帰り道”でのミスと学び
- 10 初心者の視点から語る西穂高岳の魅力とリスク、そして登ってよかったと思える理由
- 11 まとめ
なぜ西穂高岳なのか?初心者が“日本一危険な登山道”に挑んだ理由
登山歴わずか半年、いまだ標高2000m超の山に登ったことがない自分が、なぜ「日本一危険」とも言われる西穂高岳に挑もうと思ったのか――その理由は、ただ一言で言えば「自分を変えたかった」からだ。日々の生活の中で、どこか物足りなさを感じていた。毎日が同じリズムで進んでいき、刺激や達成感のない日々。そんな中、たまたま見かけた登山YouTuberの西穂高岳レポート動画が、私の心を大きく動かした。ナイフリッジのように細い岩尾根、絶景の稜線、そして過酷さの中にある達成感。画面越しに伝わってきた“生きている実感”のようなものが、自分の内側を震わせた。
もちろん危険性があることは重々承知だった。ネットで調べれば、「滑落事故が多発」「初心者は行くべきではない」という文字が並ぶ。しかし、恐怖と隣り合わせの体験だからこそ、自分の限界を超えられるのではないか。今の自分に足りない“挑戦する力”を、山が与えてくれるのではないか。そんな思いが頭から離れなかった。
家族や友人からは猛反対された。「せめて経験を積んでからにしろ」と言われたが、それでも私は西穂高岳への挑戦を決めた。もちろん無謀な挑戦にならないよう、できる限りの準備は重ねるつもりだった。西穂高岳は、ただの観光登山ではない。命をかけて向き合う場所だと覚悟していた。それでも、自分の中に眠る可能性を試したい。その気持ちだけは、揺らがなかった。
登山前の準備と心構え:装備、体力、そして情報収集のリアル
西穂高岳への挑戦を決めた瞬間から、私の生活は登山中心に変わっていった。まず最初に行ったのは、装備の見直しだ。軽装で登ることができる山とは違い、西穂高岳は岩場や鎖場、細尾根といった危険なエリアが続く。そのため、滑りにくくグリップ力のある登山靴は必須。モンベルのミドルカットモデルを購入し、近場の低山で何度も歩き慣らした。グローブは鎖場で手を守るためにクライミング用の厚手のものを選び、ヘルメットも新調。特に西穂高岳は落石が多いと聞いていたため、安全面には最大限の配慮をした。
また、登山用のリュックには必要最小限のものを詰めた。レインウェア、ヘッドライト、エマージェンシーシート、行動食、水、救急セット、バッテリー、そして何より重要なのが登山地図とコンパス。スマホに頼るのは危険だと、登山経験者のブログで何度も書かれていたので、紙の地図とアナログな道具も欠かさなかった。
体力面では、週に3回のジョギングと筋トレを習慣化。特に脚力と体幹を意識したトレーニングに力を入れた。登山ではただ歩くだけではなく、バランスを取りながら体重を支える場面が多いため、スクワットや片脚ランジ、プランクなどを中心にした。また、ザックを背負っての階段トレーニングも実施し、実戦に近い状態をシミュレーションした。
情報収集も怠らなかった。ヤマレコやYAMAPといった登山SNSを活用し、西穂高岳の登山記録を徹底的に読み漁った。特に初心者の体験談は貴重だった。どこで迷いやすいか、天気が崩れるとどうなるのか、どの区間が精神的にきついのか…。リアルな声が、机上の知識以上に役立った。また、天候の読み方や万が一のビバーク(緊急野営)についても調べ、実際にテントを張る練習も行った。
こうして準備を重ねる中で、単なる思いつきの挑戦から、現実的な目標へと変化していった。リスクは確かにある。しかし、準備と心構えをしっかり持てば、初心者でも挑める可能性はある。そう確信しながら、私は山に向かう日を待ち望んでいた。
上高地から西穂山荘までの道のり──序盤は穏やか、だが油断は禁物
登山当日、私は早朝5時に上高地バスターミナルに到着した。まだ空は明るくなりきっていなかったが、辺りは静かで澄んだ空気に包まれていた。ここから西穂高岳へと続く道のりが始まる。まずは穂高連峰の登山基地とも言える西穂山荘を目指す。初心者の私にとっては、まずその山荘にたどり着くことが、最初のハードルであり、心の支えでもあった。
上高地から西穂山荘までは、一般的に2時間半から3時間ほどの道のり。西穂高岳の本格的な岩場に比べれば、まだ穏やかな登山道が続く。しかし、それでも油断は禁物だった。西穂登山口を過ぎ、樹林帯に入ると道幅は次第に狭まり、根っこや石が多くなってくる。ところどころぬかるんだ箇所や段差の激しい登りもあり、初心者の体にはなかなかの負担がかかった。
序盤は周囲の風景を楽しむ余裕もあった。木漏れ日の中を進む静かな登山道、野鳥のさえずり、そして時折見える梓川の清流。目の前に広がる大自然は、街中では味わえない静謐さを感じさせてくれた。ただ、それも束の間。登りが続くにつれて息が上がり、汗が噴き出す。ザックの重みが肩に食い込み、足取りも次第に重くなる。
途中、小さな休憩ポイントがいくつかあり、他の登山者とすれ違うたびに挨拶を交わす。その何気ないコミュニケーションが、不思議と心の励みになる。ほとんどが私よりも経験豊富そうな人ばかりで、一人で来たことに対する不安もあったが、同じ方向を目指す人がいるという事実に、少しだけ安心感を覚えた。
そして、樹林帯を抜けた頃、遠くに西穂山荘の赤い屋根が見えた。登山道の途中に突然現れるその建物は、まるで山の中にひっそりと佇む“避難所”のようだった。ここに到着した瞬間、ようやく“山の入口”に立ったのだと実感する。山荘の中では、温かいスープやコーヒーを楽しむ人の姿があり、どこか穏やかな空気が流れていた。
だが、それもまた嵐の前の静けさ。この先、私を待ち受けているのは、危険と緊張に満ちた岩稜帯。山荘で一息ついた後、私は深く呼吸を整え、心の中で静かに覚悟を決めた。「ここからが本番だ」と。
西穂独標から始まる緊張の連続:鎖場・岩場・細尾根との対峙
西穂山荘で30分ほど休憩を取り、ついに核心部への一歩を踏み出す。目指すはまず西穂独標(にしほどっぴょう)だ。標高2701mの地点にあるこの独標は、西穂高岳へ向かう途中の重要なポイントであり、多くの登山者がここを折り返し地点として選ぶ。なぜなら、この先から登山道の難易度が一気に跳ね上がるからだ。
山荘から西穂独標までは、森林限界を超える美しい展望と引き換えに、風と日差しをもろに受ける開けた稜線歩きが続く。最初は比較的歩きやすい砂利の道だが、徐々にゴツゴツとした岩が多くなり、場所によっては手を使わなければ登れない斜面も現れる。ふと横を見ると、はるか下には上高地の谷が広がっており、ほんの一歩踏み外せば滑落しかねない地形に、背筋が冷たくなる。
そして、ついに独標手前の鎖場に差しかかる。岩に固定された太い鎖を握りしめ、慎重に足を運ぶ。鎖は命綱のような存在で、力任せに掴むと腕がすぐに疲れてしまう。体の重心を意識し、岩に三点支持を取りながら一歩一歩進む。高度感がどんどん増していき、頭の中では「落ちたら終わりだ」という声が繰り返される。
ようやく西穂独標に立ったとき、目の前に広がる絶景に言葉を失った。奥穂高、前穂、槍ヶ岳まで一望できる大パノラマ。風が強く吹き抜け、雲が流れていく様子は、まるで山が生きているようだった。しかし、この瞬間にも油断はできない。なぜなら、ここから先が“日本一危険”と呼ばれる理由が詰まったエリアなのだから。
西穂独標から西穂高岳の山頂までは、岩場と細尾根の連続。特に「ナイフリッジ」と呼ばれる区間は、幅わずか30cmほどの尾根を両手両足を使って通過する必要があり、両側はスッパリと切れ落ちた断崖。風が強ければそのまま吹き飛ばされかねない。緊張で手に汗がにじみ、呼吸が浅くなっていく。
その道を前にして、私は深呼吸をした。そして、自分の中の恐怖を抑えるために、登山前に決めていたルールを思い出す。「焦らず、決して無理をせず、命を最優先すること」。慎重に慎重を重ねながら、次の一歩を踏み出した。恐怖と向き合いながらも、体が自然と動いていく。まるで、山が私を試しているかのように感じた。
命を預ける一歩一歩──初心者が感じた「本物の恐怖」と「集中力」
西穂独標を越えてから先の登山道は、まさに「異次元」だった。これまでの登山では感じたことのない、命の重みが肩にずっしりと圧しかかってくる。眼下に広がる谷底、風にあおられる体、そして手元にしか視線を落とせない切り立った岩場。ここでは一瞬の油断が命取りになる。どれほど注意しても足を滑らせる可能性はあるし、岩が崩れることだってある。そんな極限状態の中で、私は生まれて初めて“本当の集中力”というものを体感した。
人間は極度の緊張状態に陥ると、五感が研ぎ澄まされていく。手がかりになる岩の凹凸、足元の石の感触、風の強さ、太陽の角度、遠くの岩が崩れる小さな音までがすべて明確に聞こえ、見える。普段の生活では意識すらしないような情報が、命を守るためのセンサーのように働き出す。手の汗でグローブが滑りそうになるたびに、布で拭きながら進む。岩に手をかけるときは「この岩は固定されているか?」と確かめ、足を置く場所は三度見してから踏み出す。そんな一歩一歩の積み重ねに、体力も精神も削られていく。
それでも不思議と、怖さだけではなかった。高度感と絶景の中を、自分の意志で進んでいくという感覚には、言葉では言い表せない快感があった。まるで山と自分が対話しているような感覚。自分の限界が試される瞬間に、どこか誇らしさすら感じていた。
途中、先行するベテラン登山者が立ち止まり、私に声をかけてくれた。「この先はさらに細いリッジがある。慌てず、足元だけ見て進めば大丈夫」。その一言に、どれほど心が救われたかわからない。登山は孤独なものだと思っていたが、こうした一瞬の人とのつながりが、精神的な支えとなる。誰かが見守ってくれているという安心感が、ふっと緊張をほぐしてくれた。
西穂高岳へと続く稜線の途中には、いくつものアップダウンがある。登っては下り、また登る。標高は少しずつ上がっているはずなのに、進んでいる実感が薄れる。しかし、すれ違う登山者の「あと少しですよ!」という声が、どれだけ心に響いたことか。
このときほど、「一歩の重さ」と「一歩を踏み出す勇気」を実感したことはなかった。普段の生活で、何気なく歩いているその一歩一歩が、どれほどありがたいものだったのか。山は、私にそのことを静かに教えてくれていた。
天候の急変と判断の連続:自然の厳しさを目の当たりにした瞬間
西穂高岳の稜線を進んでいた午前10時半、空はまだ青く、風も穏やかで、順調そのものに思えた。しかし山の天気は、まるで気まぐれな生き物のように、わずか数分で表情を変える。独標を越えて2つ目のピークを通過したあたりで、ふと東側の空に不穏な黒雲が湧き上がっているのに気づいた。標高2,800メートル以上のこの稜線では、天候の急変が何よりの脅威だ。
「あと一時間もすれば山頂に着ける」。そう思っていた矢先、突風が吹き始め、空が急速に曇り出した。気温も見る間に下がっていく。ザックからレインジャケットを引っ張り出して羽織ったが、それでも寒さは肌を刺すようだった。視界も徐々に白く霞み始め、周囲の山々が見えなくなっていく。
この時点で私は、判断を迫られていた。進むか、引き返すか。山頂はもう目と鼻の先。しかし、天候は確実に悪化している。何よりも重要なのは、「行けるかどうか」ではなく、「無事に帰れるかどうか」。頭ではわかっていたはずなのに、感情はそれを否定する。ここまで来て諦めるなんて、自分の中の小さなプライドが囁く。
そんなとき、偶然すれ違った熟練らしき登山者がこう言った。「無理せず、天候が怪しければ下山した方がいいですよ。山頂は逃げません」。その一言に背中を押されるように、私は一時、立ち止まり、しばらく風を避けられる岩陰で様子を見ることにした。5分、10分と過ぎるうちに、幸いにも風はやや弱まり、空も一部に青さを取り戻し始めた。
この間、自分の中で繰り返しシミュレーションを行った。「天候が崩れて完全に視界がなくなった場合、戻れる自信はあるか?」「どこまで行けば確実に安全に下山できるのか?」。装備の確認、ルートの再確認、そして下山時間の逆算…。初めての登山で、ここまで真剣に“判断”と向き合ったのは、まさにこの瞬間だった。
幸いにも、急変は一過性のものだったようで、20分ほどで天候は回復傾向にあった。しかし、それでも油断は禁物。山の自然は、人間の予想や都合に合わせてくれることはない。私たちがいくら準備していようと、それを超えてくるのが自然の力だ。
このとき感じたのは、「登山とは、自然をねじ伏せるものではなく、自然とどう折り合いをつけていくか」ということ。判断を誤れば、どんな装備や経験があっても意味をなさない。自分の命を守るために、時には“諦める勇気”を持つこと。それもまた、登山者としての大切なスキルなのだと、私はこのとき心から思った。
見渡す限りの絶景!西穂高岳からのパノラマが教えてくれたこと
ついに、山頂に立った。西穂高岳、標高2,909メートル。その頂上に足を踏み入れた瞬間、これまでの緊張と恐怖、迷い、そして達成への渇望が一気に噴き出してきた。視界が一気に開け、雲の切れ間から太陽が差し込み、眼前には北アルプスの稜線がどこまでも連なっていた。穂高連峰のゴツゴツとした岩肌、遠くには槍ヶ岳の鋭いシルエット。そして振り返れば、自分が歩いてきた細く危うい尾根道が遠くまで続いている。あれを通ってきたのかと信じられない思いと、胸が熱くなる誇らしさが湧き上がった。
山頂は風が強く、立ち止まって長くいるには厳しい環境だったが、それでもその数分間は、まるで永遠のように感じられた。周囲に人の気配は少なく、静寂の中にあるのは自然の音だけ。風の唸り、遠くの雷のような響き、鳥の声。そんな音に包まれながら、私は岩の上に腰を下ろし、水筒から一口の水を飲んだ。それは、これまでの人生で最も美味しく感じた水だった。
西穂高岳からの景色は、ただ「美しい」では片づけられない。そこには“自分自身”を見つめるきっかけがあった。都会の喧騒や日々の雑事の中では決して感じられない、静かな対話。山に来て、自分の小ささを知り、同時に自分の力をも信じることができた。あの危険な稜線を越え、恐怖と戦いながら、ここまでたどり着いたという事実。それは、今後の人生において、確かな自信として残るだろう。
私は地図を広げ、山頂標識と一緒に自撮りをし、小さなスケッチブックに今日の出来事を簡単にメモした。「風が強く、怖かったけど来てよかった。山頂からの景色、一生忘れない。」たったそれだけの文章に、今の気持ちの全てが詰まっていた。
山頂で出会った他の登山者とも、ほんのわずかだが会話を交わした。「よく来たね、初心者でここまで来るのはすごいよ」。その言葉に、涙が出そうになった。自分だけの戦いだったはずが、誰かに認められたような気がして、心が温かくなった。
下山のことを考えなければならない時間が近づき、名残惜しさを胸に立ち上がった。振り返りながら、何度も景色を目に焼き付けようとした。西穂高岳の頂上で見たあの光景は、どんなカメラでも、どんな言葉でも完全には再現できない。あれは、自分の足で登った者だけに与えられる“特権”だった。
山頂で流した涙の理由──恐怖と達成感が混じった“特別な瞬間”
西穂高岳の山頂に立ち、しばらくの静寂の中で過ごした私は、ふいに感情が込み上げてきて、思わず涙を流してしまった。それは喜びとも感動とも違う、恐怖と安心と達成感がごちゃ混ぜになった、言葉にできない感情だった。
登山道中、何度も「もう戻ろうか」と自問した。独標手前の鎖場で立ちすくみ、ナイフリッジで足がすくみ、風にあおられた稜線で膝が震えた。今まで経験したことのない恐怖と、常に張り詰めた緊張感。そんな体験を経て、自分は今、無事に山頂に立っている。その事実の重さに、心が耐えきれなくなったのだ。
涙は、何も悲しみからだけ流れるものではない。自分の限界を超えたとき、何か大きな壁を越えたとき、あるいは自分を信じてよかったと実感できたとき、人は自然と涙を流す。私はこれまで、そうした「心の底から湧き上がる涙」を体験したことがなかったが、このときは違った。誰にも見られていないはずなのに、恥ずかしいとも思わず、ただただ自然と目から溢れてくる涙を拭うことさえしなかった。
「よくここまで来たな」──それは誰かに言われたのではなく、自分自身が自分に言いたくなった言葉だった。登山を始めてまだ半年の初心者が、体力も技術もまだまだ未熟なまま、それでも準備を重ねて挑戦し、こうして西穂高岳の山頂に立っている。まぎれもない事実として、それが今の自分の姿だった。
不思議なもので、その涙の後は心がすっと軽くなった。達成感に浸るというより、ようやく「ここにいていい」と自分を許せたような感覚。自然の中で、自分の弱さも強さも丸ごと受け止めてもらえたような、そんな安心感があった。山頂の冷たい風が頬をなで、目の周りを乾かしてくれた。
これまでの人生で、誰かの期待に応えようと努力してきたことが多かった。けれどこの登山は、誰のためでもなく、自分自身のためだった。自分が自分を認めたくて、ここまで来た。そしてその答えが、あの涙だった。
この体験が、私にとってどれほど貴重だったかは、これからもずっと心に残り続けるだろう。山頂で流した涙は、努力や勇気が報われた証でもあり、同時に「また一歩踏み出してみよう」と背中を押してくれる力にもなった。
下山こそ本番だった…緊張が続く“帰り道”でのミスと学び
「登りよりも下山のほうが危険」──多くの登山者がそう語る理由を、私は西穂高岳の帰路で身をもって痛感した。山頂に立ったことで気持ちが緩みかけていたが、現実にはそこからが本当の試練だった。疲労が蓄積した体に加え、緊張感の薄れ、そして足元の不安定な岩場が、じわじわと牙をむいてくる。
山頂を後にしてすぐ、最初の細尾根に差しかかったとき、風が一気に強くなった。登りのとき以上にバランスを崩しやすく、岩場を降りる際の一歩一歩が神経を削る。特に「下を見る恐怖」は、下山時により強くなる。重力に逆らう登りと違い、下山では一歩が予想以上に滑りやすく、踏ん張りが効かない。しかも、その先にあるのが何百メートルも落ち込んだ谷だとわかっているからこそ、恐怖は倍増する。
実際、私はひとつの岩場で大きなミスを犯した。登りでは問題なく通過できた場所で、下山時に足の置き所を見誤り、片足が滑って体が一瞬横に傾いたのだ。幸い、すぐ近くの岩を両手で掴み直して体勢を立て直せたが、心臓が跳ねるような瞬間だった。たったそれだけの油断が、大事故に繋がる可能性がある。まさにその一歩が命取りだという言葉を、身をもって理解した。
この経験が教えてくれたのは、「ゴールは山頂ではなく、無事に家に帰るまで」ということだ。いくら頂上に立ったとしても、下山で事故を起こせば全てが無に帰す。登山という行為は、登りと下りを含めて初めて“完結”するのだ。
足の疲労も顕著に出てきた。太ももやふくらはぎが重くなり、関節に負担をかけないよう細心の注意を払って降りなければならなかった。それに加え、集中力の低下も無視できない。登頂後の安堵感が、少しずつ注意力を削っていく。まさに「事故は帰りに起きる」というのは、理屈だけではなく、感覚としても理解できる。
しかし、山荘に近づくにつれて少しずつ地形が安定してきたとき、心の中にまた別の感情が湧いてきた。「もうすぐ戻れる」という安堵と、「終わってしまう」という一抹の寂しさだ。あれほど怖かった登りも、今では思い出になりつつある。そう思えたとき、自分の中で少しだけ山との距離が縮まった気がした。
西穂山荘に戻ったときの安心感は格別だった。周囲にいた登山者たちの中にも、同じように安堵の表情を浮かべている人が多く、まるで無言の連帯感が生まれているようだった。私は小さな椅子に座り、リュックをおろして深く息を吐いた。「帰ってきた」。その言葉が、何よりのご褒美だった。
初心者の視点から語る西穂高岳の魅力とリスク、そして登ってよかったと思える理由
西穂高岳の登山を終え、無事に下山してから数日が経った今でも、あの体験は鮮明に思い出される。それほどまでに、心と体に強烈なインパクトを与えてくれた山だった。初心者として挑んだこの旅は、単なるレジャーや冒険ではなく、「人生を見つめ直す時間」だったと感じている。
西穂高岳の魅力は、何と言ってもその迫力にある。岩の鋭さ、細尾根の緊張感、そして遮るもののない360度の絶景。あの景色を目にしたとき、人は「自分がどれほどちっぽけな存在か」を思い知らされると同時に、逆に「こんな場所に自分の力で立っているんだ」という誇りも抱くことができる。その相反する感情が混ざり合う不思議な体験が、山の魅力そのものなのだと思う。
ただし、リスクもまた、同時に存在する。実際に現地に行ってみて痛感したのは、ネットやガイドブックだけでは決して理解できない“現実の厳しさ”だった。一歩一歩の重み、風の強さ、滑落の恐怖、そして体力と集中力の消耗。これらは机上の情報では味わえない、リアルな“登山の現場”だった。特に初心者にとっては、準備と判断力、そして撤退の選択肢を常に持っておくことが生死を分ける。軽い気持ちで登ってよい山では決してない。だからこそ、登る価値があるとも言える。
そして、登ってよかったと心から思える理由は、山が“本当の自分”と向き合わせてくれるからだ。誰にも頼らず、自分の判断で道を選び、一歩ずつ前へ進む。その行為自体が、自己との対話だった。現代社会ではなかなか味わえない、自分を信じる力や、不安と戦う勇気を、山は教えてくれた。自信をつけたかったわけではない。ただ、「やってみた」「ちゃんと乗り越えた」という経験が、何よりの財産になった。
初心者だからこそ見える景色がある。恐怖を恐怖のまま感じたからこそ、それを乗り越えた実感が深く残る。私のような登山経験が浅い者にとって、西穂高岳は決して“無理な山”ではなかった。確かに危険な山であり、誰にでもすすめられる山ではない。それでも、十分な準備と覚悟、そして謙虚な姿勢があれば、初心者でも登頂は可能だと実感した。
何より、あの山で得た“感動”と“生きている実感”は、何にも代えがたい。自分を見つめ直したい人、日常を抜け出したい人、何かに挑戦してみたい人──そんな人にこそ、この山を知ってほしい。そしていつか、自分の足でその頂を踏んでみてほしい。そこには、きっと人生を変える何かが待っている。
まとめ
西穂高岳――それは、初心者の自分にとってはあまりにも大きく、険しく、そして忘れられない存在となった。標高2909メートルという高さだけではなく、「日本一危険」とまで言われる険しい稜線と岩場、変わりやすい天候、そして命の危険を伴う緊張の連続。それでも、その先に広がる景色や、山頂に立ったときの達成感は、日常では決して味わえない感動だった。
登山前には、装備や体力、情報収集などに時間をかけて準備を重ねた。登山の入り口である上高地から山荘までの道のりも簡単ではなかったが、それはむしろ“心の準備”として大きな意味を持った。そして、西穂独標からの核心部では、恐怖と向き合いながら、自分を信じて進むという“生きた時間”を経験できた。
山頂では涙が出るほどの感動と安心に包まれたが、それで終わりではなかった。下山こそが最大の難関であり、気の緩みが一瞬にして命を奪う可能性があることを、身をもって学んだ。それでも、最後まで自分の足で歩ききったことで、自信だけでなく“山と向き合う覚悟”を得ることができた。
初心者にとって、西穂高岳は“挑戦”の象徴であり、“自分自身との対話の場所”だった。この経験を通して得たものは、ただ山に登ったという実績ではなく、日常の中で失いかけていた「本気で生きる感覚」そのものだった。
これからも登山を続けていきたい。だが、それは“登ること”が目的なのではなく、“自分と向き合い続けること”の一つの手段としてだ。そしていつか、また西穂高岳に登りたい。そのときは、今回よりも少しだけ強く、少しだけ冷静に、そして少しだけ余裕を持って、あの稜線を歩いてみたい。