登山初心者が富士山を甘く見て大後悔!五合目からのリアルな体験と生き残りの教訓

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登山初心者が夢見た富士登山、軽い気持ちで挑戦したその日

「一生に一度は富士山に登ってみたい」と、多くの日本人が抱く夢。私もその一人でした。日常にちょっとした冒険を取り入れたいと思ったある夏、富士登山を決意しました。登山経験はゼロに近く、軽いハイキングに行った程度。体力には多少自信があるし、若いし大丈夫だろう――そんな軽い気持ちが、後に大きな後悔へと変わるとは、この時は思いもしませんでした。

富士山登山に対する知識もほとんどなく、ネットで見つけた「初心者向け富士登山ガイド」の記事を数本読んだだけ。そこには「ツアーに参加すれば安心」「五合目までバスで行ける」「夏ならTシャツでも登れる」などと書かれていて、それを鵜呑みにしてしまったのです。登山靴も買わず、スポーツシューズで十分と判断し、リュックには軽食と飲み物、薄手のパーカーを詰めて出発しました。

当日は快晴。朝早くに新宿から出発するバスツアーに参加し、同じような初心者らしき人たちと共に五合目へと向かいました。バスの中ではみんな和やかな雰囲気で、ガイドさんも「天気がいいので登りやすいですよ」と言ってくれていたので、不安はほとんどありませんでした。むしろ、富士山に登るという高揚感で胸が高鳴っていました。

しかし、後になって思うと、この時の「気軽さ」が最大の落とし穴でした。自然を甘く見ていた。登山を“観光の延長”くらいにしか捉えていなかった。その無知が、数時間後に命に関わるような恐怖へと繋がっていくことになります。

五合目の華やかさと現実のギャップに気づけなかった理由

五合目に到着した瞬間、私はちょっとした観光地に来たような気分になりました。お土産屋やレストラン、カフェが並び、外国人観光客も多く賑やかで、正直「こんなに人がいるなら大したことないな」と感じてしまったのです。目の前に広がる雲海は美しく、風も心地よく、富士山の“過酷さ”とはまるで無縁のような雰囲気でした。

登山者の服装も様々で、本格的な登山ウェアに身を包んだ人もいれば、ジーンズにスニーカーのカップルもいました。そうした人たちが歩いているのを見て、「自分もこの装備で大丈夫」と思い込んでしまったのが大きなミスでした。五合目の気温は20度近くあり、上着は不要なくらい快適でした。それがこの先、どんどん世界が変わっていくとも知らずに。

また、周囲の人たちの雰囲気にも油断させられました。登山というよりは“散歩”に来たような雰囲気で、写真を撮ったり、ソフトクリームを食べたりする姿が目立ちました。「あれ、これなら楽勝じゃない?」そんな油断が、足元から忍び寄っていたのです。

今思えば、五合目は「入口」でしかなく、本当の試練はここからだったのです。まるで遊園地のゲートをくぐるようにして始まった私の富士登山は、登れば登るほど、そこが“別世界”だという現実を思い知らされることになります。

軽装・油断・体力不足…準備不足が招いた初めての異変

登山道を歩き出した直後は、緩やかな傾斜と整備された道が続いており、思ったよりも楽に感じていました。「なんだ、やっぱりいけるじゃん」と内心ほっとしたのを覚えています。しかし、それも束の間。六合目あたりから道が徐々に傾斜を増し、足場もゴツゴツとした岩混じりの不安定な地面に変わり始めました。ここで、私は明らかに“準備不足”を感じることになります。

まず最初に異変を感じたのは足元でした。スニーカーでは、ゴツゴツした岩場で滑る感覚が頻繁にあり、靴底からの突き上げが痛みとして伝わってくるのです。本格的な登山靴を履いている人たちが軽やかに歩くのを見て、「自分もちゃんと装備を揃えるべきだった」と後悔しました。さらに、登山に慣れていない足はすぐに疲れを見せ、太ももがピクピクと痙攣を起こすようになりました。

持ってきた飲み物も早々に減っていきました。ペットボトル2本では全く足りず、呼吸が荒くなるにつれ、水分の消費も激しくなっていきます。六合目で軽く休憩した時点で、すでに息が上がり、顔は赤らんで汗でびっしょり。登山というよりは、まるで部活の走り込みのような感覚に近かったです。

さらに、体力の過信も仇になりました。日頃から運動不足だった私は、1時間以上も登り続けるという行為そのものに慣れておらず、思っていた以上に早くバテてしまったのです。周囲の年配の登山者たちが淡々と進んでいく姿に、自分の無力さが際立って感じられました。

体調面も少しずつ変化していきました。息苦しさ、軽い頭痛、そしてなぜか妙なイライラ感。これが後に深刻な“高山病”の前兆だと分かるのですが、当時は「ちょっと疲れてるだけ」と思い込み、無理をして先を急いでしまいました。

すべてが「甘く見ていた」ことに起因していました。装備も情報も心構えも、すべてが不足していたのです。六合目は、そんな自分の“登山力”を初めて試され、最初の挫折感を味わった場所でした。

六合目から始まる過酷な現実、呼吸困難と足の震え

六合目を過ぎたあたりから、道は明らかに険しさを増していきました。砂利混じりの急な斜面や、鎖を掴んで登るような岩場が次々と現れ、それまでの“観光気分”は一気に吹き飛びました。ここから先はもう、「登る」「耐える」「呼吸する」ことに全神経を集中させなければ前に進めない、本物の登山の世界でした。

酸素が薄くなってきたのを感じ始めたのは七合目手前くらいだったと思います。歩いていても息がすぐに上がり、深呼吸をしても胸いっぱいに空気が入ってこないような、圧迫感のある苦しさが常に続いていました。これは単なる疲労ではなく、高山に特有の環境によるものでした。

そして、足の震えが止まらなくなってきます。筋肉の疲労もありますが、気温の低下が影響していたことも大きかったです。七合目に近づくにつれて気温は10度以下になり、風が吹くたびに体温が奪われていきました。薄手のパーカーだけでは寒さをしのぐことはできず、指先もかじかんできて、ザックの中の物を取り出すのにも一苦労。

何より精神的に辛かったのは、自分が「遅れている」と感じることでした。周囲の人たちが先へ先へと進んでいく中、自分は数歩進むごとに立ち止まり、呼吸を整え、また歩き出す。そんな繰り返しの中で、焦りと不安が心の中にじわじわと広がっていきました。

一歩一歩が、まるで大きな山を乗り越えるように感じる。六合目以降は、「登山」という行為の本当の厳しさを全身で思い知らされる時間でした。ここで既に「無理かもしれない」と心が折れかけていましたが、まだ「ご来光を見たい」という気持ちが辛うじて背中を押していました。

強風と気温5度の世界、夏でも命の危険を感じた瞬間

七合目を越えると、環境はさらに過酷になっていきました。気温は5度を下回り、風速は体感で10メートル以上。風が吹くたびに体が揺れ、寒さで歯がガチガチと鳴るようになりました。夏に登った富士山でしたが、この高度では季節感などまるで関係なく、むしろ冬山に近い環境だと実感しました。軽装の私はここで完全に防寒対策の甘さを後悔することになります。

手袋は持っておらず、ポケットに手を突っ込んでしのいでいたのですが、次第に指先の感覚が薄れていき、チャックもまともに開けられないほどかじかんでしまいました。耳も冷たさで赤くなり、痛みに変わっていきました。レインウェアも無かったため、風を遮る手段がなく、全身がむき出しのような状態。まるで風が刃物のように肌を刺してくる感覚で、冗談抜きに「このままでは凍えて動けなくなるかもしれない」と恐怖を感じました。

さらに、標高が高くなるにつれ、空気の薄さがより顕著になります。普通に呼吸しているだけなのに苦しい。酸素を求めて深く吸い込もうとするものの、それでも胸がスッキリしない。頭がぼーっとし始め、足元がふらつく。気を抜いたらそのまま転倒するのではと、自分の身体への不安が募っていきました。

そんな中でも、何人かの登山者たちが黙々と歩き続けている姿に引っ張られ、「ここで止まったら駄目だ」と必死で自分を奮い立たせました。しかし、寒さと疲労、そして酸欠が組み合わさり、歩くたびに視界がチカチカするようになってきました。

登山前に「夏でも寒いことがある」とは聞いていましたが、それを完全に軽視していた自分をここで痛感しました。これはもはやレジャーではなく、命を削る行為なのだという現実。軽装備で挑んでしまったことが、命取りになるのではないかという不安が、心の奥底でじわじわと大きくなっていきました。

高山病の恐怖、頭痛と吐き気に襲われて立ち尽くす

八合目を目前にしたあたりで、ついに身体に明らかな異変が現れました。まず、頭の中心に鈍くて重たい痛みが広がり始め、歩くたびにその痛みがズキズキと増していきました。「疲労のせいかな」と最初は思っていましたが、次第にその痛みは耐えがたいものになり、ついには吐き気まで伴うようになりました。

これは典型的な高山病の症状でした。初心者である私はその知識も薄く、「登れば治る」と思い込んでいたため、無理にでも前に進もうとしましたが、それが逆効果だったのです。酸素の少ない環境で動くことで、脳や内臓にさらに負担がかかり、立っているのも辛い状態に。

登山道の脇に腰を下ろし、目を閉じて深呼吸を繰り返しても頭痛は収まらず、吐き気も強まるばかり。同行していたツアーの仲間からは「無理せず休んだ方がいい」と言われたものの、私は「せっかくここまで来たのに」と強がってしまい、なかなか引き返す決断ができませんでした。

体調は悪化する一方で、少しでも動くとめまいがし、膝がガクッと抜けるような感覚が頻発するように。他の登山者に助けを求めるのも気が引けて、ただ座って耐えるしかありませんでした。このとき、はじめて「山で人は簡単に死ぬこともある」という言葉が、現実味をもって胸に響きました。

高山病は、決して特別な体質の人だけがかかるものではなく、準備不足や無理なスケジュール、休憩の取り方次第で誰にでも起こり得る。自分の無知がその典型例となってしまったのです。

この八合目付近での経験は、今でも忘れられません。富士登山が「登るだけ」ではない、厳しい自然との戦いであることを痛感し、同時に命の大切さを思い知らされた瞬間でした。

「戻るか進むか」決断を迫られた八合目の葛藤

八合目の山小屋にたどり着いたとき、私はすでに限界寸前でした。頭痛と吐き気、そして寒さによる震えが止まらず、座っていても目の焦点が合わないような状態でした。ツアーガイドの方が心配して声をかけてくれ、「高山病の症状が強いので、無理をせず下山した方がいい」とアドバイスを受けました。しかし私は、ここで重大な決断を迫られることになります。

「ここまで来たのに」「ご来光を見たい」「もうすぐ山頂じゃないか」――そんな思いが、頭の中でぐるぐると巡ります。これまで何時間もかけて登ってきた道のり、それを無駄にしたくないという気持ちが強く、下山するという選択がなかなかできませんでした。同行者の中には同じように辛そうな人もいましたが、何とか前に進もうとしている姿を見ると、自分も続かねばという焦りにも似た感情に駆られてしまいます。

一方で、体の限界は明らかでした。歩くたびに足がもつれ、手はしびれ、呼吸は苦しく、頭の中では「このまま進んだら倒れるかもしれない」という警告が鳴り響いていました。八合目から頂上までは、残り約2時間の道のり。距離的には短いかもしれませんが、今の私の状態ではその2時間が永遠にも感じられました。

悩んだ末、私は「今回はここまで」と決断しました。それは登山開始前に想像していたような、達成感に満ちた頂上での景色ではなく、途中であきらめざるを得なかった無念の決断。しかし、命の危険を感じていたあの瞬間においては、それが最も理性的な選択だったと、今でははっきりと言えます。

「次はもっとちゃんと準備して、必ず登り切ろう」――そう自分に誓いながら、私は山小屋で長めの休憩を取り、下山に向けて体力を回復させることにしました。この決断をしたことで、無理に登頂して倒れていたかもしれない未来を避けることができたと、後に知ることになります。

登山道に落ちていた登山靴と、無言で通り過ぎた人々

下山を始めてしばらくすると、登ってきたときには気づかなかった“山の現実”が目に入ってきました。その中でも、特に印象に残っているのは、道の端に転がっていた片方だけの登山靴です。真新しいとは言えないその靴は、誰かが途中で脱ぎ捨てていったようで、周囲には誰もいませんでした。

その光景は、何とも言えない不気味さと哀しさを伴っており、足を止めてじっと見てしまいました。一体どういう状況でこの靴が置かれていたのか、想像は尽きませんが、そこに「無理をした誰か」の存在を感じ取ってしまったのです。

さらに、周囲の登山者たちは無言でそれを避けるように通り過ぎていきました。誰もが自分の体力や状況と向き合いながら必死に登っているため、他人のことに構っていられないのです。声をかける余裕もなく、助け合いの精神よりも「自分が生き残ること」に集中せざるを得ない。そんな厳しい世界がそこにはありました。

途中、倒れ込むようにして休んでいる登山者も何人か見かけました。中には顔色が悪く、体調不良を訴えているような人もいましたが、誰もそれを特別なこととは思わず、通り過ぎていきます。山の上では、「自分の命は自分で守る」という原則が、厳然と存在しているのです。

この時の体験は、「山は人の性格をあぶり出す場所」だという言葉を思い出させました。優しさも冷たさも、決断力も弱さも、極限状態でこそ表に出る。私自身もまた、自分の弱さや未熟さをまざまざと見せつけられました。

富士山は観光地である一方で、間違いなく本物の“山”でした。そしてそこには、都会の生活では決して出会わない、厳しさと孤独があったのです。

ご来光を目前にしたリタイア、涙と後悔の頂上目前

八合目で下山を決意した私は、そのまま山小屋で横になり、呼吸を整えて体を休めていました。山小屋の中は狭く、登頂を目指す人たちで混雑していましたが、幸運にも少しスペースが空いていたため、毛布を借りて仮眠をとることができました。寒さに震えながら横になると、疲れた体はあっという間に眠りに落ちました。

目が覚めたのは、周囲の人々が再び動き始める時間帯。外を見ると、空がわずかに明るくなり始めており、ご来光の時間が近づいていることがわかりました。本来であれば、ここからあと1時間ほど登れば、富士山の頂上でご来光を拝むことができたはずです。しかし、私はそこへ進む体力も気力も残っていませんでした。

山小屋の前には、装備を整えた登山者たちが次々と出発していきます。ヘッドライトをつけ、無言で足早に山道を登っていくその姿を、私はただ立ち尽くして見送ることしかできませんでした。頂上はもうすぐそこ。距離で言えばたった数百メートル。しかしその“あと少し”が、今の私にとっては絶望的な距離に感じられました。

空は次第に赤く染まり、ついにご来光の瞬間が訪れました。雲海の向こうから、ゆっくりと太陽が顔を出し、空一面に黄金の光が広がっていきます。その景色は本当に美しく、ただただ言葉を失いました。しかし同時に、私はその光景を“頂上から”見ることができなかった悔しさに、涙がこぼれました。

登頂できなかったことへの後悔、準備不足だった自分への怒り、そして周囲の登山者が成功していく姿を見る悔しさ――それらが一気に胸に押し寄せ、自分の無力さに押し潰されそうになりました。けれど、その涙は、同時に「次は絶対に登ってやる」という新たな決意へと変わっていったのです。

頂上に立つことはできませんでしたが、この経験は私にとって、ただの“失敗”ではありませんでした。むしろ、自分の限界を知り、自然の厳しさを学び、そして次に向かうための強い動機を得た、大切な通過点だったのです。

下山は登りの倍ツラい!足がもげるかと思った長い道のり

下山は、想像以上に過酷な時間でした。多くの人が登山において「登りがきつい」と思いがちですが、実は“下り”こそが本当の試練だと知ったのは、この時です。とにかく、膝と太ももにかかる負担が尋常ではなく、歩くたびに「ガクン」と足が崩れそうになりました。

富士山の下山道は、いわゆる「砂走り」と呼ばれるザラザラとした砂利道で、滑りやすく足元が不安定です。一歩進むたびに砂に足を取られ、転倒しそうになることも何度もありました。登山靴を履いていなかった私は、スニーカーの中に砂が入りまくり、歩くたびに違和感が増していきました。最終的には靴を脱ぎ、靴下の中の砂を払わなければ歩けないほどでした。

また、体力をほぼ使い切った状態で下山するため、集中力も切れやすく、同じ景色が延々と続く単調な道のりに、精神的にもかなり堪えました。「まだ着かないのか?」「これで何合目だ?」と独り言を繰り返しながら、まるで修行のような時間を耐え忍びました。

途中、足を痛めて座り込む人や、転倒して怪我をした人も見かけました。誰もがそれぞれの苦しみを抱えながら、黙々と下っていく様子は、まるで戦場を後にする兵士のようでした。そして何より恐ろしいのは、「下りは休めない」という事実です。登りでは休憩を挟みながら進めますが、下りでは足を止めるとバランスを崩しやすく、足腰の負担が一層増すため、ひたすら歩き続けるしかありません。

五合目のバス乗り場が見えた瞬間の安堵感は、言葉にできないほどでした。心も体もボロボロの状態で、ようやく帰ることができる。その瞬間、「生きて戻れて良かった」と心の底から思いました。

「もう二度と行かない」から「次は絶対成功させる」へ変わった心境

五合目に戻ってきたとき、私の頭の中にあったのはただ一つ、「もう二度と登山なんかするか」という言葉でした。ボロボロの足、泥だらけの靴、息をするだけで痛む胸、そして何よりも、頂上に到達できなかったという強烈な挫折感。そのすべてが、富士登山を「苦い思い出」に変えようとしていました。

バスに揺られて下山する道中、周囲では満足そうに話す人々の声が聞こえました。「頂上からのご来光は最高だった」「また来年も登りたいな」そんな会話を聞くたびに、自分の中で何かがざわつく感覚がありました。悔しさ、羨ましさ、そして自分の不甲斐なさ――あの瞬間は、素直に人の成功を祝うことすらできず、ただじっと窓の外を見つめることしかできませんでした。

しかし、帰宅して数日が経ち、少しずつ疲労が取れ、冷静になってくると、あの時の景色、風、空気、そしてご来光の美しさが、頭の中で鮮明によみがえってきました。不思議なことに、苦しかったはずの登山の記憶が、美しい思い出として少しずつ輪郭を持ち始めたのです。そしてその中に、ある感情が芽生え始めました。

「次は、ちゃんと準備して、絶対に登り切ってやる」

これが、私の中で富士登山に対するリベンジの火を灯した瞬間でした。あのときの失敗は、ただの失敗ではなかった。自分の未熟さを知り、自然の厳しさを体感し、命の重さを理解する貴重な経験だった。そして、そこから学べることが山ほどある――そう思うようになっていったのです。

装備の重要性、高山病への対策、体力づくりの必要性、登山計画の練り方。どれも軽視していたことが、あの経験を通じて痛感できました。だからこそ、次は必ず登頂できるよう、計画を立てて再挑戦したいと思うようになったのです。

「もう二度と行かない」と吐き捨てたはずの富士山。その山が、今では「また会いに行きたい」と心から思える存在になっているのは、皮肉でありながら、自然が持つ力と魅力の証明でもあります。

富士登山で学んだ“準備の重み”と“自然の本気”

今回の富士登山で、私は心から「準備の重み」を実感しました。山は観光地ではなく、自然そのもの。どんなに天気が良くても、どんなに周囲が楽しそうにしていても、その裏には命を危険にさらすリスクが常に潜んでいます。自然は、決して人間に合わせてくれるものではないのです。

まず、装備。これは登山において最も重要な要素の一つです。私はスニーカーとパーカーという軽装で登りましたが、本来は登山靴、防寒着、手袋、雨具、予備の水や食料、ヘッドライトなど、揃えるべき装備は数多くあります。どれか一つでも欠ければ、それだけで登山の安全性が大きく損なわれることになります。

そして、体調管理と高山病への理解。私の場合、無理なペースで登り、休憩も少なく、水分補給も不十分でした。その結果、高山病にかかり、頂上目前でリタイアすることになりました。高山病は誰でもなる可能性があるもので、軽視してはいけません。自分の体としっかり向き合い、無理のないペースで登ることが、結果的に成功へとつながるのです。

また、情報収集の大切さも身に染みて感じました。ネットの記事やSNSの情報だけを頼りにするのではなく、実際に登った人の体験談や、専門家のアドバイスに耳を傾けることが重要です。自分なりにルートや気候、必要な持ち物などを事前にしっかりと調べておくことで、想定外の事態に備えることができます。

富士山は美しく、誰もが憧れる日本一の山ですが、その美しさの裏には“自然の本気”が存在しています。準備不足で挑むことは、自分自身に危険を招くだけでなく、周囲の人にも迷惑をかける可能性があります。だからこそ、登山は「計画」から始まっているのだということを、今では強く確信しています。

次に登るときは、しっかりと準備を整え、万全の体制で挑むつもりです。あの時見上げた頂上の、その先にある景色を、今度こそ自分の目で確かめたい。そう思っています。

まとめ

今回の富士登山で私が学んだのは、自然の前では人間は本当に無力だということ、そしてその無力さを補うためには「準備」と「知識」が何より重要だということです。軽装備、高山病の恐怖、精神的・肉体的限界、ご来光目前のリタイア、そして下山の過酷さ。すべてが私の想像を超えていました。

しかし、だからこそ得られた経験と教訓は、これからの人生にもきっと生きるはずです。失敗したこと自体に価値があり、それを踏まえて次に挑戦する力が、登山という行為の本質なのだと思います。

富士山は、挑戦する者に対して平等に厳しく、そしてそれを乗り越えた者にだけ、格別の景色を見せてくれる山です。今回の失敗を無駄にせず、再びあの山に向かう日が来ることを、今は心から楽しみにしています。

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