白馬岳で出会った「山小屋ごはん」とは?登山初心者の私が涙した、標高2,000mの思い出

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登山初心者が白馬岳を選んだ理由とは?

登山に興味を持ち始めたのは、コロナ禍の運動不足をどうにか解消したいという思いがきっかけでした。自宅でのトレーニングやランニングでは物足りなさを感じていた私にとって、自然の中で体を動かす登山は、運動だけでなく心のリフレッシュにもなるのではないかと感じました。そんな中で、数ある山の中から「白馬岳」を選んだ理由には、いくつかの決定的なポイントがありました。

まず、白馬岳は「北アルプスの女王」とも称される美しさを持つ山で、標高2,932メートルという高さでありながら、比較的登山道が整備されており、初心者にも挑戦しやすいと紹介されていたことが大きな理由です。また、山小屋の多さや、白馬大雪渓や稜線歩きなど、多様な景色が楽しめるルートも魅力でした。

さらに、関東からのアクセスが良く、夜行バスや新幹線を使えば気軽に白馬村まで行ける点もポイントでした。仕事の合間を縫っての週末登山を計画していた私にとっては、時間的な制約も大きな課題だったので、アクセスの良さは見逃せませんでした。

ネットやYouTubeで白馬岳の情報を集めているうちに、「いつか登ってみたい」から「今、登ってみたい」という気持ちへと変わっていったのです。装備や体力に不安はありましたが、それでも白馬岳の圧倒的な景色に魅了された私は、登山初心者としての一歩を踏み出す決心をしました。

登山計画と装備チェック:準備段階で気をつけたポイント

初めての本格登山ということで、準備には特に気を使いました。白馬岳は初心者にも登りやすいとはいえ、標高は2,900メートルを超える高山です。天候の急変、体力の消耗、高山病のリスクなど、山特有のリスクには十分な備えが必要です。ネット上の登山ブログや書籍を読み漁りながら、まずは必要な装備のリストを作成しました。

登山靴は滑りにくく足首をしっかりと支えるミドルカットのものを選び、インソールや靴下も登山専用のものにこだわりました。ウェアは速乾性と防寒性を兼ね備えたレイヤリングを意識して、ベースレイヤー、ミドルレイヤー、そしてレインウェアまでしっかり揃えました。天候が変わりやすい白馬岳では、レインウェアは命を守る装備でもあります。

また、山小屋泊とはいえ、水分や行動食、ヘッドライト、救急セットなども欠かせません。特に行動食は、歩きながらでもエネルギーを補給できるよう、ナッツ類やエネルギーバー、ゼリー飲料を中心に準備しました。

計画段階では登山届の提出も忘れてはならないポイントでした。登山計画書には、ルートや同行者の有無、宿泊予定の山小屋名などを詳しく記入し、家族にも共有しました。こうした事前準備を万全に行うことで、登山中の不安が大幅に軽減され、心から自然を楽しむ余裕が生まれると実感しました。

いよいよ出発!白馬岳登山道で感じた自然の洗礼

いよいよ登山当日。早朝に白馬村から出発し、猿倉を登山口としてスタートを切りました。登山前夜は緊張と期待でほとんど眠れなかったにもかかわらず、歩き始めると不思議と足取りは軽く、体中に自然のエネルギーが満ちてくるような感覚がありました。山の空気はひんやりとして澄みきっており、深呼吸するたびに肺が洗われるような気がしました。

初日のルートは白馬大雪渓を経由するもので、この大雪渓こそが白馬岳の名物でもあります。6月から8月にかけて、雪渓の上を歩く体験はまさに別世界でした。足元にはアイゼンを装着し、一歩一歩慎重に進む必要があります。滑りやすく、不安定な雪の上を歩くのは、初心者にはなかなかの試練でしたが、雪に囲まれた谷の中を歩く非日常感は、苦労を忘れさせるほどの魅力がありました。

途中、急な斜面や岩場もあり、息が上がる場面も多々ありましたが、振り返るたびに見える景色がどんどん広がっていくのが励みになりました。自分の足で標高を上げていく実感は、都会のエレベーターやエスカレーターでは得られない達成感です。

気温の変化や強まる日差し、そして時折吹く冷たい風。登山道はまさに「自然の洗礼」の連続でした。標高が上がるにつれ、周囲の植物も変化していき、小さな高山植物たちが岩陰にひっそりと咲いているのを見つけた時には、その生命力に驚きと感動を覚えました。

体力的にはきつかったものの、それ以上に心が満たされる時間。白馬岳の登山道は、登る人すべてにとって、自分自身と向き合う場でもあると実感しました。

高山植物と絶景に癒やされながら進む、道中の感動体験

登山中盤に差しかかると、疲労も徐々に溜まってくる一方で、景色の美しさがどんどん増していきます。雪渓を越えた後、白馬尻小屋を経由し、さらに進むと高山帯へと入り始め、草木の背丈は低くなり、色とりどりの高山植物たちが姿を現しました。イワカガミ、チングルマ、ミヤマキンポウゲなど、普段では目にすることのない可憐な花々が足元を彩り、疲れた心と体にそっと寄り添ってくれるようでした。

登山はつらい、苦しいというイメージが強かった私ですが、この区間ではまるで植物園の中を歩いているかのような心地よさに包まれました。中でも、斜面一面に広がるミヤマダイコンソウの黄色い花畑は、まさに自然が描いた絵画のような絶景で、その場に座り込んでしばらく眺めてしまったほどです。

道中では、立ち止まって花の名前を教えてくれるベテラン登山者とも出会いました。高山植物には厳しい環境の中でしか咲かない種類も多く、それぞれに短い命を精一杯生きているという話を聞き、花々の儚さと強さに胸を打たれました。

そして何より心に残ったのは、振り返ったときに広がる壮大な山々の風景。遠くには剱岳や立山の稜線が見え、青空とのコントラストがまるで一枚の絵のようでした。登るほどに広がっていく世界は、まさに自分の努力が見せてくれるご褒美だと感じました。

自然が作り出した風景と、その中で静かに生きる植物たち。そのすべてが、登山を「つらい修行」から「人生で味わうべき体験」に変えてくれるのです。

初めての山小屋到着!思っていたより快適だった設備と雰囲気

ようやくたどり着いたのは、標高2,400メートル付近にある山小屋「白馬山荘」。登山開始からすでに6時間以上が経過し、体力はほぼ限界に近い状態でしたが、木造の立派な建物が視界に入った瞬間、それまでの疲れが一気に吹き飛んだ気がしました。「山の中にこんな立派な宿泊施設があるなんて…」というのが、正直な第一印象でした。

山小屋といえば、狭くて寒くて不便な場所、という先入観がありました。しかし実際には、受付のスタッフは丁寧で明るく、室内も整理整頓が行き届いており、布団や寝袋などの備品も想像以上に清潔でした。感染症対策のため、宿泊人数を制限していることもあり、プライベートな空間がある程度確保されていたのもありがたかったです。

靴を脱いで休憩スペースに座った瞬間、ふかふかのスリッパの心地よさにちょっと感動してしまいました。水は貴重な資源なのでシャワーはありませんでしたが、手洗い用の水や温かい飲み物の販売、乾燥室など、登山者にとって必要なものはきちんと揃っていました。電波こそ不安定ですが、電源も使える場所があり、スマホの充電も可能でした。

また、山小屋の魅力は設備だけではありません。他の登山者との自然な交流が生まれる場所でもあります。同じ時間を過ごし、同じ山を登ってきた者同士の間には、言葉にしなくても通じ合う不思議な連帯感があります。知らない人同士が「お疲れさまでした」と声を掛け合い、次の天気について情報を交換し、夕暮れの景色を一緒に眺める。この空間での出会いや会話が、山小屋の温かさを何倍にもしてくれるのです。

登山初心者の私にとって、山小屋は「避難所」でも「休憩所」でもなく、思いがけず「心地よい居場所」となりました。

山小屋で出された「ごはん」に衝撃…その味と温もりに涙した夜

そして、今回の登山で最も印象に残った体験が、山小屋での「ごはん」でした。山の中での食事というと、インスタントラーメンや携行食のイメージが強かった私にとって、白馬山荘の夕食は完全に予想を裏切るものでした。

配膳されたのは、ご飯、味噌汁、そしてメインのおかずに加え、小鉢がいくつも並ぶ、まるで旅館の夕食のようなメニュー。しかも、温かいまま提供されることにまず驚かされました。メインは鶏の照り焼きと野菜の煮物で、どれも手作りの優しさが伝わってくる味。ご飯はふっくらと炊き上がっていて、おかわりも自由という贅沢さ。山の上という環境を考えると、これがどれほど手間のかかった食事かは想像に難くありません。

食事中、外はすでに暗くなり始め、窓の外には雲海が広がっていました。その景色を眺めながら一口一口を噛みしめているうちに、なぜか自然と涙がこぼれてきました。おそらく、疲労と達成感、そしてこの静かで温かな時間が、自分の中の何かを大きく動かしたのだと思います。

食後には、山小屋スタッフが明日の天気と登山ルートについて簡単な説明をしてくれました。こうした案内も初心者には非常に心強く、安心して翌日の行程に備えることができました。

ただのごはん、されどごはん。この一杯の味噌汁と白米が、これほど深く心に染み渡った経験は、人生の中でも数えるほどしかありません。まさに「涙するごはん」となった夜でした。

山小屋スタッフと登山者たちの温かい交流が忘れられない理由

白馬山荘での滞在中、もう一つ特筆すべき思い出は、スタッフの方々と他の登山者たちとの温かい交流でした。登山は個人の挑戦というイメージが強く、実際に歩いている間はほとんど一人きりの時間がしかし、山小屋という限られた空間では、人と人との距離が自然と近づきます。それは決して強制的なものではなく、あくまで自然体で心地よいものでした。

チェックインの際、スタッフの方が「今日は暑かったでしょう?よく頑張りましたね」と声をかけてくれたとき、疲れた体にその一言が本当に沁みました。さらに夕食後には、スタッフの一人がギターを持ち出して小さな演奏会を開いてくれたのです。灯りを落とした食堂に集まった登山者たちは、誰ともなく拍手し、笑い、少しだけ歌い、まるで昔からの友人同士のような空気に包まれました。

隣に座った初老の男性は、これで10回目の白馬岳だと教えてくれました。「登るたびに、新しい出会いがある。それが山の魅力だよ」と語ってくれた言葉が、今でも心に残っています。都会ではありえない、人との距離感。肩書きも年齢も関係なく、ただ「同じ山を登る人」としてのつながりがそこには確かにありました。

また、早朝の出発に合わせて用意されたおにぎりと温かいお茶を手渡してくれるスタッフの姿にも、山小屋という場所のやさしさを感じました。厳しい自然の中でこそ、人の心はこうも温かくなるのかと、山に来て初めて気づくことがたくさんありました。

この「人との出会いとつながり」は、単なる旅行では得られない、登山ならではの宝物だと感じています。

翌朝の朝焼けと白馬三山の眺めが教えてくれた、登ってよかったという確信

夜が明ける前、スタッフに促されて外に出てみると、空はまだ深い藍色に包まれていました。周囲の山の稜線がうっすらと浮かび上がり、やがて東の空が徐々に赤みを帯び始めます。その瞬間、山小屋前に集まった登山者たちから一斉にため息が漏れました。目の前に広がっていたのは、言葉では言い表せないほどの美しさを放つ朝焼けの風景でした。

赤からオレンジ、そして金色へと変わっていく空。その下に広がるのは白馬岳、杓子岳、白馬鑓ヶ岳という「白馬三山」。その稜線が光に照らされて神々しく輝く様は、まるで別の世界に迷い込んだかのような感覚を呼び起こします。冷たい風が頬をなでる中、静かに、ただ静かに、その景色を見つめました。

このとき、「ああ、本当に登ってよかった」と心から思えました。これまでの疲労も筋肉痛も、すべてがこの瞬間のためにあったのだと納得できたのです。山の中では、人工的な音は一切聞こえず、風の音と鳥のさえずり、そして自分の呼吸音だけが響きます。その静けさがまた、心の中に深くしみ込んできました。

他の登山者たちも口をつぐんで、同じ空を見上げていました。その無言の共感が、不思議な安心感を与えてくれました。自然が見せる本当の美しさに、人は言葉を失うのだと、この瞬間に体で理解しました。

この朝の風景は、どれほど高画質のカメラでも完全には収めきれない、生の体験としての価値があると思います。そして、その体験を得るためには、自分の足で登り、自分の目で確かめるしかありません。登山の魅力は、こうした「自分の体を通して得る景色」にあるのだと実感した、忘れられない朝でした。

下山後の筋肉痛すら愛おしい、登山ビギナーのリアルな感想

下山の朝、名残惜しさを胸に抱えながら、私は再び重いザックを背負って山小屋をあとにしました。山頂を経由し、同じルートを通って猿倉へ戻るルート。登りとはまた違った筋肉を使うため、足への負担は予想以上でした。下り始めてすぐに膝に違和感を感じ、慎重に一歩ずつ下っていくうちに、じわじわと太ももやふくらはぎにも痛みが広がっていきました。

しかし、不思議なことに、身体の痛みすらも愛おしく思えるほどの心地よさがありました。それは、登頂の達成感と、山小屋での温かい体験、そして美しすぎる朝焼けの余韻が心に残っていたからかもしれません。登山中は「もう無理かもしれない」と思った場面も何度かありましたが、それを乗り越えた自分が、少しだけ誇らしく思えたのです。

道中、足を滑らせそうになるたびに支えてくれた登山ポールや、何気なく口にした行動食のありがたさ、すれ違う登山者たちの「お疲れさま」という声。登っている最中はつい夢中で気づかなかった細やかなことが、下山の途中で一つひとつ思い返され、噛みしめるような感覚になりました。

猿倉にたどり着き、登山靴を脱いだ瞬間の開放感と安堵感は今でも忘れられません。けれども同時に、「もうこの風景の中にはいられないのか」と、少しだけ寂しさを感じたのも事実です。まるで短い夢から覚めたような感覚。現実に戻るのが惜しくて、登山口で少しだけ振り返り、山の稜線を見上げました。

帰りのバスの中、足は重く、体はぐったりとしていましたが、心は驚くほど晴れやかでした。翌日から数日間続いた筋肉痛も、その度に白馬岳の景色や出会いが頭をよぎり、むしろ嬉しい痛みに変わっていました。登山とは、身体を酷使する旅でありながら、心を潤す最高の贈り物だと、この経験を通じて深く実感しました。

登山を終えて変わった「旅」の価値観と、自分の中の小さな変化

これまで私にとって「旅」とは、観光地を巡り、美味しいものを食べ、快適な宿に泊まるというものでした。できるだけ効率よく、無駄なく楽しむことが良い旅だと思っていました。けれど、白馬岳の登山を終えた今、その価値観が大きく変わりました。

この登山では、予定通りに進まないことの方が多く、道中は汗と疲労との闘いでした。宿泊施設もホテルのような快適さはないし、食事も限られた材料での提供です。それでも、そこで得られた感動や人との出会い、自然との一体感は、これまでのどんな贅沢な旅でも味わえなかったものばかりでした。

特に強く感じたのは、「旅は便利さではなく、体験の深さで決まる」ということ。何かを苦労して手に入れたときにだけ得られる達成感や、五感すべてで感じる記憶こそが、旅の本当の価値を形作るのだと気づいたのです。地図を見ながら自分でルートを選び、足で稼いだ景色を見るという体験には、他に代えがたい感動があります。

また、日常生活に戻ったあとも、自分の中で少しだけ変化がありました。小さなことでイライラしなくなり、自然の流れや他人のペースにも寛容になれた気がします。山で出会った人々の素朴さや、限られた環境で工夫して生きる姿勢が、自分の内面にも影響を与えてくれたのかもしれません。

白馬岳は、ただの「登山先」ではなく、私にとって「人生を見つめ直すきっかけ」をくれた場所です。この体験はこれからの旅のスタイルにも大きく影響しそうですし、きっとまた、別の山を目指して歩き出す日が来ると思います。

まとめ

白馬岳への登山は、初心者の私にとって決して楽な旅ではありませんでした。しかし、その苦労の先にあった景色、人の温かさ、そして自分の内面の変化は、何ものにも代えがたい大切な宝物となりました。高山植物が彩る登山道、山小屋での温もり、涙がこぼれた山ごはん、そして朝焼けに包まれた稜線。

この一つひとつの体験が心の奥に深く刻まれ、ただの旅行では味わえない「生きた記憶」となりました。登山とは、自然の美しさに触れるだけでなく、自分自身と向き合い、少しだけ成長できる旅でもあります。

あの日、勇気を出して白馬岳に挑戦して本当に良かった。これからも、こんな風に「心を揺さぶる旅」を積み重ねていきたい。そう強く思わせてくれる、かけがえのない体験でした。

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